トランプ発言とド・ゴールの核戦略—高山正之「憎悪は消えた」が暴く米国の対日観と日本の進路
2019年7月4日発信。
本日発売の『週刊新潮』掲載、高山正之の名高いコラム「変見自在」『憎悪は消えた』を受けて綴った一篇。
トランプ発言を契機に、日本の核武装、自主防衛、ド・ゴールの全方位抑止戦略、そして日清戦争以後の米国の対日観の変質を論じながら、日本が自国を守る覚悟を持つべき時が来ていることを訴えている。
高山正之の歴史認識と文明観を通して、戦後日本に押し付けられた憲法と国家賠償体制の本質にも鋭く迫る論考である。
2019-07-04
この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていた
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。
一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。
個人にしろ国民しろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。
独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。
NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
いかが高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。