「既知」と「未知」を区別できない後知恵の専門家批判――日本を救った科学者と現場経験

新型コロナウイルスは未知の感染症であり、初期段階では過去の類似例から特性を推測し、安全側に幅を持たせて対策を講じるほかなかった。
掛谷英紀氏は、後から得られた知識で専門家会議を批判する非科学的な態度を指摘し、実験科学や医療、軍事などの現場経験が、未知の危機に対応するために不可欠であると論じる。

2020-07-03
新型コロナウイルスは、当然、新たに発生した疫病なので、実験や観察がなされていない。
だから、過去の類似する事例から、特性を類推するしかなかった。
以下は前章の続きである。
「既知」と「未知」の区別
より深刻なのは、政府の対策への批判が左翼からだけでなく、新自由主義者や一部の保守派からも行われていることである。
その批判の矛先が安倍政権ではなく、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の研究者に向けられている点で、より悪質度が高い。
緊急事態宣言解除後に目立ったのは、そもそも宣言自体が不要だったのではないかという言説である。
最大42万人が死ぬと言って危機を煽り、無駄に自粛を強いて経済にダメージを与えた専門家会議の医師たちはけしからん、との主張である。
先に挙げた池田信夫氏は、この批判の急先鋒の一人である。
こうした議論も、科学というものを全く分かっていない素人の考え方である。
そもそも、科学とは何か。
『大辞林』では、「理論」を「科学研究において、個々の現象や事実を統一的に説明し、予測する力をもつ体系的知識」と定義している。
よって、科学の法則とは、「予測する力をもつ体系的知識」であると考えられる。
科学研究においては、実験や観察を行い、それに基づいて法則を打ち立てる。
得られた科学の法則が予測力を担保できるのは、なぜか。
そこには、科学が前提としている二つの仮定がある。
一つ目は、同一条件下では、同じ現象が普遍的に再現されるという仮定である。
二つ目は、近い条件下では、近い結果になるという仮定である。
前者は、人類を裏切ったことがないと言えるほど強い仮定だが、後者については、非線形系では成り立たない場合があることが分かっている。
天気予報が、その代表例である。
新型コロナウイルスは、当然、新たに発生した疫病なので、実験や観察がなされていない。
だから、過去の類似する事例から、特性を類推するしかなかった。
最初から100%の正解が分からないのは、当然なのである。
もちろん、時間の経過とともに多くの実験や観察の結果が蓄積されていくので、より正しい知見が得られるようになる。
科学者は、何が「既知」で、何が「未知」なのかという境界を、常に意識しながら仕事をしている。
文系知識人には、この区別ができていない人が多い。
そのため、後から得られた知識を使って、知識の蓄積がなかった時点での判断を糾弾することを、しばしば行う。
薬害エイズやフィブリノゲンをめぐる厚生省糾弾は、その好例である。
確かに、後から考えれば間違った判断だったわけであるが、同様の被害は他国でも発生しており、当時の知識水準から考えると、正しい判断をすることが難しかったことが分かる。
薬害エイズ被害の国際比較については、大阪HIV訴訟弁護団監修『薬害エイズ国際会議』が詳しい。
今回の感染症対策にも、これと同じ難しさがあった。
初期の段階では、情報が十分にないのだから、安全な側に幅を持たせるのは当然である。
それに対して、後から得られた知識で批判するのは、あまりにも非科学的な態度である。
逆に、安全対策が不十分で被害が拡大していたら、彼らは、それを結果論で批判したに違いない。
お気楽なご身分である。
今の日本には、思想の左右を問わず、この種の空論を振りかざす文系知識人が非常に多いという印象がある。
彼らは、自分は頭がいいと勘違いし、自分の思いつきが現実でもそのままうまくいくと信じている。
それで失敗すると、人のせいにしたり、失敗を認めなかったりする。
「ゆとり教育」の失敗について、提唱者が何の責任も取っていないことが、その好例である。
実験科学で修業すれば、この考え方は矯正される。
科学で新しい実験を試みると、その九割は失敗である。
そして、その失敗を人のせいにはできない。
自分の頭で考えたことには、何らかの欠陥があることを思い知らされる。
それを何度も修正して、ようやく所望の目的が達成される。
その経験がないことが、右に述べた文系知識人の問題を生んでいるのではないか。
もちろん、実験科学を経験しなくても、何らかの現場を踏めば、同様の経験を積むことはできる。
実際、医師は病院でそのような経験を積み重ねていることが、強みである。
また、過去の優秀な政治家には軍人出身者が多いが、彼らも戦場という現場の経験者である。
日本では、軍人出身の政治家は戦争好きだと誤解している人が多いが、現実は逆である。
戦争の凄惨な現場を知っているからこそ、本当に必要な時以外、彼らは軍を動かすことに慎重なのである。
コリン・パウエル米国務長官、当時、がイラクでの軍事行動に消極的だったことは、それを象徴する例である。
一方で、いったん腹をくくったら、後には引かない強さも彼らは持っている。
その意味で、今回の新型コロナウイルス問題で、最も頼りになると感じさせた政治家が佐藤正久参議院議員だったのは、ごく自然なことである。
受験エリート出身の議員は、予想通りの問題を解く訓練しかしていない。
自衛隊でイラク派遣を経験し、何が起こるか予想できない現場を経験している佐藤議員との差は、歴然としていた。
そもそも、経済への負の影響を問題にするのであれば、感染症対策を行った医師よりも、まず、冒頭で述べた通り、ウイルスを世界中にばらまいた中国政府と、経済への悪影響を理由に国境を早期に封鎖することに反対したグローバリストの新自由主義者にこそ、批判が向けられるべきである。
国境封鎖を早期に行っていれば、台湾のように、国内経済への影響をより小さくすることができた。
それに反対しておきながら、感染拡大を抑制するために行った自粛による経済への悪影響の責任を医師たちに負わせるのは、あまりにも無責任かつ非人道的な態度ではないか。
この稿続く。

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