ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104/鳥羽咲音(チェロ)・大友直人(指揮)・NHK交響楽団
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
アントニン・ドヴォルザークの《チェロ協奏曲 ロ短調 作品104》は、チェロ協奏曲というジャンルの最高峰に位置する傑作である。
深く豊かなチェロの歌、雄大なオーケストラの響き、祖国ボヘミアへの郷愁、そして作曲者の個人的な悲しみが、巨大な交響的構成の中で一つに結ばれている。
ドヴォルザークは1892年、ニューヨークのナショナル音楽院院長として米国に渡った。
交響曲第9番《新世界より》をはじめとする名作を生み出した米国滞在の終盤、1894年11月から翌1895年2月にかけて作曲されたのが、このチェロ協奏曲である。
当時、チェロは独奏楽器としては音量が弱く、オーケストラとの均衡を保つことが難しいため、ドヴォルザーク自身もチェロ協奏曲の作曲には慎重だったとされる。
しかし、アイルランド系米国人作曲家ヴィクター・ハーバートのチェロ協奏曲を聴いたことなどを契機として、チェロの歌唱性と劇的な表現力を最大限に引き出す作品を書き上げた。
この作品では、独奏チェロだけが華やかに技巧を誇示するのではない。
オーケストラもまた、交響曲に匹敵するほど重要な役割を担っている。
独奏チェロとオーケストラは、時に激しく対峙し、時に語り合い、時に一つの巨大な歌となって進んでいく。
第1楽章は、クラリネットが暗く静かな第1主題を奏でるところから始まる。
やがて音楽は次第に力を増し、全オーケストラによる壮大な提示へと発展する。
ホルンによって歌われる第2主題は、ドヴォルザーク特有の温かさと限りない憧憬をたたえた、作品全体を代表する美しい旋律である。
長いオーケストラの序奏を経て登場する独奏チェロは、冒頭から力強く主題を歌い上げる。
そこには、単なる優美さではなく、苦悩を抱えながらも前へ進もうとする人間の強い意志がある。
技巧的なパッセージも数多く現れるが、それらは決して表面的な華やかさのために置かれているのではない。
すべてが音楽の劇的な流れと深く結びついている。
第2楽章は、穏やかで親密な歌に満ちた緩徐楽章である。
冒頭では木管楽器が静かな旋律を奏で、それを受け継ぐように独奏チェロが深い内省の歌を歌う。
しかし、その静けさは突然打ち破られ、音楽は激しい感情の高まりを見せる。
中間部には、ドヴォルザーク自身の歌曲《私をひとりにして》の旋律が引用されている。
この歌曲は、ドヴォルザークが若い頃に思いを寄せた女性で、後に義姉となったヨゼフィーナが好んでいた曲だった。
作曲当時、ヨゼフィーナは重い病にあった。
そのため、この楽章に現れる旋律は、美しい回想であると同時に、失われようとしている大切な人への祈りのようにも聞こえる。
第3楽章は、ボヘミア的な活力と勇壮さを備えたロンド風の終楽章である。
行進曲を思わせる力強い主題を独奏チェロが奏で、オーケストラとともに堂々と音楽を展開していく。
民族舞曲を思わせる生命力、激しい技巧、抒情的な回想が次々と現れ、作品は大きな頂点へ向かう。
しかし、この楽章は単純な勝利の音楽として終わるわけではない。
ドヴォルザークが米国から帰国した後、ヨゼフィーナは亡くなった。
その知らせを受けたドヴォルザークは終結部を書き直し、第2楽章で引用した《私をひとりにして》の旋律を再び静かに回想させた。
独奏チェロは、それまでの勇壮さを離れ、過ぎ去った時間を振り返るように、静かな別れの歌を奏でる。
ヴァイオリン独奏もその歌に寄り添い、音楽は遠い記憶の中へ消えていくかのように弱まっていく。
その後、突然、全オーケストラが力を取り戻し、作品はロ短調の激しい響きによって堂々と閉じられる。
だが、その華々しい終結の奥には、決して消えることのない悲しみが残されている。
この協奏曲の偉大さは、チェロという楽器の魅力を余すところなく示したことだけにあるのではない。
故郷への思い、自然への愛、人間の生命力、叶わなかった愛、死者への追憶という、ドヴォルザークの人生そのものが音楽となっていることにある。
独奏チェロは、時に雄弁に語り、時に人間の声のように歌い、時に深い孤独の中でつぶやく。
そして巨大なオーケストラは、その一人の人間の声を包み込み、自然と世界と人生の大きな流れへと導いていく。
《チェロ協奏曲 ロ短調 作品104》は、壮大な協奏曲であると同時に、ドヴォルザークが愛する故郷と大切な人に捧げた、深く私的な別れの歌なのである。