檀君神話から元朝支配まで――黄文雄が論じる朝鮮半島の古代史と西洋の認識
檀君神話から元朝支配まで――黄文雄が論じる朝鮮半島の古代史と西洋の認識
以下は、黄文雄さんの、正に労作である「2000年前から外国人が見て驚いた日中韓の違い」『世界はなぜ最後には中国・韓国に呆れ日本に憧れるのか』からの抜粋である。
前文略
現在の韓国人は、朝鮮建国の始祖が中国人であったこと、朝鮮半島の一部が中華帝国の版図だったということに反発し、これを「歴史のウソ」と断じている。
そして13世紀に一然和尚(高麗時代の禅宗の仏僧)によって書かれた『三国遺事』に記述されている、天帝と雌熊のあいだに生まれ1800年以上生きたとされる檀君が朝鮮を建国したという「檀君神話」を主張しているが、もちろん中国の史書にこの「檀君神話」が出てくるものはない。
韓国の小中高の教科書にも、この檀君開国の物語は掲載されているが、原文はたった漢字200字未満のもので、いかなる史実もない荒唐無稽な話だ。
しかし韓国では学者でもこの神話を史実として論じているのだ。
日本でも最古の歴史書である『日本書紀』や『古事記』には国産みの神話などが出ているが、もちろんこれを史実と考える学者はいないし、神武天皇やその後の「欠史八代」についても実在したかどうかの客観的な議論が行われている。
それはともかく、現在の中国は前述の漢四郡の存在から、その後に成立した高句麗(紀元前37年~668年)は中国史の一部であると主張し、韓国とのあいだで激しい歴史論争となっている。
『日本書紀』では、当時の朝鮮半島は新羅、高句麗、百済の3国と、半島南部の伽耶という諸国があったとしている。
神功皇后による「三韓征伐」、百済や新羅が日本に朝貢してきたこと、伽耶諸国の任那に日本が統治機関をもっていたことなどの話が出てくる。
もちろん現在の韓国人は、これも「歴史のウソ」として否定している。
『三国史記』は中国の正史『後漢書』や『梁書』『唐書』から内容をパクつた部分も多いが、史実の記述、たとえば隋の煬帝の高句麗遠征については、同時代のことを記述した史書とはあべこべのことが書いてあるなど、いい加減な内容もかなりある。
編者の金富軾の空想妄想からの創作である疑いが強く、歴史書というよりも小説やファンタジーに近い。
原作は漢文だが、誰が読んでもまともな漢文になっていない駄作だということがわかる。
金富軾は韓国文人のパクリとファンタジー創作の始祖ともいえる。
いずれにせよ朝鮮半島は古代より、中華帝国や日本といった周辺国から強い影響を受けてきたということは間違いないだろう。
韓国人の出自については、考古学、人類学、DNAなどさまざまな分野の研究があり、説も多い。
地政学や地理学、生態学から考えて、東夷の朝鮮半島はそもそも人間の居住に適していない辺境であった。
そのため朝鮮半島は、韓系(マレー・ポリネシア系)、倭系、西からの漢系、北のツングース(東胡)系などの流民(土幕民)の吹き溜まりと考えるのが合理的で、歴史から見ても、東アジア史に登場したのは「三国」時代と考えるのが妥当である。
それゆえ日本からの影響も強く、前述のように新羅の王が倭人だったというのも、当然なのだ。
中略
韓国人は日本人のルーツは朝鮮半島から渡った「落ちこぼれ」だと主張しているが、歴史的に見ればそれは逆なのである。
韓国人はまた、「朝鮮半島を通じて日本に文明を教えてやった」などと言うが、日本は中国大陸からは遣唐使の廃止(894年)まではさまざまな影響を受けたものの、朝鮮半島からはほとんど文明の恩恵は受けていない。
それどころか史実は逆で、たとえば米にしても、従来は朝鮮から日本に伝わったとされてきたが、それは問違いであり、支那大陸から日本に伝わり、それが水稲技術とともに朝鮮半島に渡ったというのが、米のDNA調査などからほぼ確実となっている。
中略
西洋においてようやく朝鮮が認識されるのは17世紀
西洋にとっては、朝鮮は存在そのものが漠然としており、16世紀末にいたるまで正確な地図すらなかった。
1505年に明に滞在したアウグスティヌス会宣教師マルティン・デ・ラダは高麗を支那の属国としてあげているが、16世紀のゴンザレス・デ・メンドーサによる『支那大王国志』は朝鮮についてまったくふれていない。
13世紀末に書かれた『東方見聞録』も、黄金の国ジパングにはふれているが、高麗(朝鮮)についてはほとんどふれていない。
チンギス・ハーンの孫にあたるフビライに征服されて以来、高麗は100年以上も元の統治下にあった。
フビライに信頼され高官にまで起用されたマルコ・ポーロが朝鮮にほとんどふれないのはじつに不思議である。
高麗は開国以来、契丹人の遼、女真人の金、漢人の宋のいずれを宗主とするかに悩まされており、砂漠やモンゴル高原を越えてチンギス・ハーンのもとにまで性奴隷としての貢女を送っている。
にもかかわらず、これほどまで「取るに足らない属国」扱いだったのだろうか。
西洋にとって朝鮮半島はひとつの秘境であり、情報は皆無に等しかった。
初期の世界地図では、半島ではなく「島」として書かれている。
正確な世界観がないのは中国も同じで、前述の『山海経』も内容は荒唐無稽である。
福建地方でさえ唐代にいたるまで「島」と考えられており、天円地方(天は円く、地は方形であるという考え)が近代まで続いていた。
西洋人が朝鮮に本格的に関心をもつようになったのは、豊臣秀吉による16世紀末期の朝鮮出兵(壬辰倭乱)からであろう。
キリシタン大名の小西行長に随行した宣教師グレゴリオ・デ・セスペデスらが、ローマ本部にあてた年報で朝鮮半島について書いている。
この稿続く。