事大主義と韓国外交の歴史 — 条約を覆す「ムービング・ゴールポスト」の構造
韓国の外交姿勢や条約問題を理解するには、その歴史的背景を知る必要がある。
朝鮮王朝の対外関係や事大主義の伝統、明治期の「書契問題」、そして現在の徴用工判決に至るまでの構造を分析し、韓国が国家間の約束を変化させ続ける「ムービング・ゴールポスト」の外交姿勢を指摘する論考である。
2019-02-05
この韓国の言語同断な見解に与するような意見書に著名していたのが和田春樹や大江健三郎達なのである。
以下は前章の続きである。
◎事大主義と特殊な国民性
本論に入る前に韓国に対して正しい認識を持っていただきたい。
歴史上、朝鮮は主に中国王朝を宗主国とする属国として生きてきた。
朝鮮は強いものには徹底して卑屈になり、弱いものには居丈高になるという特性を持っている。
彼らの国民性に自国の歴史が影響していることは間違いないだろう。
そのことを考えれば、外交儀礼に反したり、約束事を破るのは、この国の本性であって、最近始まったものでもないことがわかる。
昨年、NHKの大河ドラマ『西郷どん』を楽しんで観た人もいるだろう。
終盤、西郷隆盛が朝鮮の非礼に怒って「征韓論」を唱え、下野する場面があった。
やがては西南戦争にもつながっていく重要なシーンだ。
その理由を番組では詳しくは描写していなかったが、あれは有名な「書契問題」に端を発している。
明治元年(1868年)、江戸幕府を倒した明治政府は、新政権樹立の通告と条約に基づく近代的な国際関係の樹立を求める国書を世界各国に送った。
応諾の返書が各国から次々と届く中、異様な対応をした国があった。
朝鮮である。
清国の従属国だった李氏朝鮮は、国書の中に「皇」と「勅」という文字があることを発見した。
朝鮮は、清朝以外にこの文字を使うことは「許されない」として、日本からの国書の受け取りを拒否したのだ。
明治政府が何度接触を試みても「受け取り拒否」という非礼が続き、あの征韓論へとつながっていく。
清朝が国書を受け取り、正式な外交関係が始まっても、朝鮮の態度は変わらなかった。
国王の高宗、その妻・閔妃と、国王の父である大院君との権力抗争、汚職ばかりの官吏、社会基盤がまったく整備されない中で貧困に喘ぐ国民、そして荒れ果てた国土。
そんな朝鮮が外交儀礼を欠いた態度を日本にとり続けたのである。
強いものに追随するのに、それ以外には貶める態度をとる「事大主義」はそのまま朝鮮に当てはまる。
そして、それは今の韓国に通底している。
いわゆる、徴用工判決でも、そのことは明らかだ。
互いの請求権を放棄して「完全かつ最終的に解決した」日韓請求権協定は、日本と韓国との国交が正常化した日韓基本条約の大前提である。
韓国の司法は、これをひっくり返した。
理由は、「日本統治は不法、違法であり、そこで行われたことは協定の適用対象に含まれない」というものだ。
つまり、1910年に大日本帝国と大韓帝国との間で結ばれた日韓併合条約が「不法、違法」であり、「認められない」というのである。
*この韓国の言語同断な見解に与するような意見書に著名していたのが和田春樹や大江健三郎達なのである。
この連中が左翼小児病、自虐史観、反日思想、似非モラリズムに毒されているかが白日の下に晒された彼らの著名入り意見書でもある*
国家間の約束をひっくり返したり、時間の経過と共に条件をずらしていく。
“ムービング・ゴールポスト”を得意とする韓国の面目躍如たるところだ。
しかし、これがいかに「異常」で「理不尽」なものであるのか、彼らにはわからない。
この稿続く。