「ご注進ジャーナリズム」の始まり――オフレコを売り渡し、新聞記者が自ら信頼を破壊した日
一九九五年の江藤隆美発言報道を転機として、日本の新聞記者がオフレコ発言を守る仁義を捨て、中国・韓国への「ご注進」によって政治家との信頼関係を自ら壊していった過程を描く一篇。
門田隆将と高山正之の対談を通じて、新聞記者の変質、取材倫理の崩壊、そして「失言狩り」が横行する報道空間の病理を鋭く抉っている。
2019-07-01
記者たちがオフレコの発言を中国・韓国に“ご注進”申し上げるようになっていたわけです。
いわゆるご注進ジャーナリズムの始まりです
以下は月刊誌WiLL8月号に、新聞という病、SNSで暴露された朝日の“赤っ恥”、と題して掲載された高山正之と門田隆将の対談特集からである。
SNSは現代の「奇兵隊」か。
たとえ小さき声でも団結すれば大きな潮流が生まれる
変質した新聞記者
門田
本書にも書きましたが、新聞記者の傲慢がますますひどくなっています。
官房長官の記者会見を自分の意見表明の場と勘違いしている記者もいます。
高山
本誌七月御代替り特大号の連載記事と、本書の「『天皇制』を否定したい新聞」の項は秀逸でしたね。
門田
朝日は天皇と皇室にまで牙をむき始めていますね。
自分たちが世論を形成しているという思い上がりを、新聞記者はいつから持ち始めてしまったのでしょうか。
高山
かつてNHKが『事件記者』(一九五八年から六六年)というドラマを放映していたけど、あの時代まで新聞記者は情熱とロマンを持って事件に当たり、さまざまな人たちと出会い、取材して、ネタを取ってくればいいと思われていた。
要するに、努力した成果がそのまま記事になる時代だった。
普段は麻雀などをして、スワ事件発生となったら、知己とネタ元に当たり、駆けずり回って記事にする。
『事件記者』の頃は、研究すら必要なかった。
ところが記者も御用聞きのように政治家や刑事のおこぼれをもらうだけでは通用しなくなってしまった。
それなりに勉強・研究する必要が出てきたわけだ。
門田
私の著作『狼の牙を折れ』(小学館)に出てくる新聞記者のような…。
高山
そう、ネタにくらいつく記者像をうまく描いていた。
たとえば『腹腹時計』(一九七四年発行の爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記した教程本)をスクープした産経の記者も、今の記者からは想像もできないようなやり方で、この本を当局から手に入れている。
もちろん研究熱心でなければ、とても捜査員に食い込めない時代が来ていた。
門田
記者の質が変わってきたんですね。
高山
七〇年の第二次安保時代から変化の兆しがありました。
横井庄一や田中角栄などが登場することで、従来型の「ただ聞いて歩く」記者のままでは時代についていけなくなった。
それほど世事は複雑・高度化していったのです。
門田
それは昭和四十年代までのことですか。
高山
昭和五十年代までじゃないかな。
未曾有の事件が立て続けに起こった時代に、『事件記者』時代と、今の記者の分かれ道があったんじゃないかと思う。
僕の場合は、羽田クラブに配属されたときは飛行機業界のこと、イラン支局長のときはイスラム、ロス支局時代はアメリカのことを一所懸命勉強した。
ところが、さらに記者が大きく変わったと実感したことがあった。
一九九五年、江藤隆美が「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」とオフレコで話したことを、なぜかその場にいなかった韓国メディアが詳細に報じた。
その、うち返しで日本の新聞が騒ぎ出した。
つまり、記事になった。
それまで政治家のオフレコ発言は、一切記事にしないしメモを取ることもなかった。
それがマナーだし、記者の仁義だった。
あのリークはメモどころか間違いなく録音を取っていた。
取材できなくなった記者でも、そうやればネタがつくれることを発見した瞬間だったかもしれない。
思い起こせば一九六九年の衆議院選挙で、成田知巳社会党委員長(当時)が百議席割れするほどの大敗を喫したとき、馴染みの記者とのオフレコ懇では「負けることはわかっていた」と話していた。
ところが、それに続くテレビ、デンスケ(録音機)の入る本番の記者会見では、「ここまで負けるとは想像もできませんでした。
これを機に選挙戦を見直したいと思います」と、コメント内容がまるでジキルとハイドだ(笑)。
本音と建て前を政治家も記者の前で使い分けていて、記者は承知の上で付き合っていた。
ところが、江藤のころからは、それが通用しなくなってしまった。
門田
記者たちがオフレコの発言を中国・韓国に“ご注進”申し上げるようになっていたわけです。
いわゆるご注進ジャーナリズムの始まりです。
高山
それで江藤はクビ。
それ以来、ウラの会見がなくなったように思います。
門田
こうして記者たちが、せっかくやってもらっているバックグラウンドブリーフィングでのオフレコ発言まで書くようになった。
つまり、自ら政治家たちとの信頼関係を破壊していったわけです。
そんな卑怯なことをしてまで、新聞記者たちが目の前の政治家のクビをとって名を上げようとし始めたのです。
そうなると記者は本音を聞かず、オモテの発言さえ聞けばいいことになってしまった。
つまり、失言を待って、それを引き出した記者が「偉い」ことになっていったんです。
この稿続く。