人権を叫べど――綺麗ごとが新聞を弱らせ、報道の本質を失わせた
戦後日本の新聞は、「人権」や「推定無罪」を掲げる綺麗ごとの議論の中で、実名報道や写真掲載を自ら縛り、報道の核心に迫る力を失っていった。
本稿は、朝日新聞を中心とする報道界の変質と、記者教育の崩壊、そして「人権」を叫びながら本質を問わなくなった新聞の衰弱を鋭く抉る一篇である。
2019-07-01
第一、そんなことで人権を守ることができるのか。
そこまでして守るべき人権なのか。
その本質がまったく語られず仕舞いだった。
以下は前章の続きである。
人権を叫べど
高山
日本の周辺には中国や韓国、北朝鮮、ロシア…とあらゆる外交問題が山積みになっている。
そういう大事な視点を考えず、些末な目先の記事をつくることで汲々としている。
だから、オモテの記者会見で、ポロッと漏らした失言に対して鬼の首を取ったように批判を展開する。
そんなことが記者の本道だと思うようになってしまった。
門田
錯覚もいいところですね。
高山
羽田クラブ時代、飛行機会社の幹部といろいろ付き合うことがあった。
A社の事故に対して、B社の幹部が原因などを教えていることもあった。
だから、遺族も入るような記者会見では、すでに取材は終わっているから、主だった記者は誰も質問しない。
不勉強な記者だけが「原因はなんですか」と騒いでいるだけ。
政治部の記者会見もまったく同じだと思う。
担当している政治家はテレビの前では余計なことを言わない。
それが今はなくなったから、望月衣塑子のような記者がのさばるようになるんだ。
我々は、官房長官が記者会見で発表した方向性を把握はしているものの、その場でそれ以上、突っ込んだところで何になるのかと思っている。
『新聞という病』にかつての新聞と昨今の新聞の大きな差がどこにあるかと聞かれて、「それは写真にある」と喝破している個所がある。
事件のとき、被害者と加害者の写真を探してくるのが、サツ回りの記者の第一の仕事だったと。
門田
新人記者で一番難しいのは、その仕事ですよ。
デスクから灰皿を投げつけられ、取材先では塩をまかれる。
写真は親族か親友しか持っていません。
だから、写真を取るというのは、事件の核心に迫ることなのです。
ところが、昭和五十年代、「マスコミ倫理懇談会」(メディアの倫理向上と言論・表現の自由の確保を目的に一九五五年に東京で創設)が、写真掲載に関して意見を表明し、新聞各社に大きな影響を及ぼすようになります。
この懇談会は、全国大会が毎年開催されていますが、日弁連の人権委員会の弁護士などがその基調講演を担当するようになるのです。
新聞社のみならず、テレビや出版社もご説ごもっとも、と大人しく聞いているわけです。
その話に「何を言うのか!」と抗議を示した唯一の人間が新潮社の赤塚一・週刊新潮編集部次長でした。
「推定無罪だから実名報道は最後に刑が確定するまでしてはいけない」と弁護士が言ったことに対する抗議でした。
このマスコミ倫理懇談会の綺麗ごとの議論を通じて、新聞社は自分たちの首を絞める方向に舵を切っていく。
人権、人権と声高に叫び、やがて写真も人権を侵害している、加害者を守らなければならない、と。
それとともに新聞から写真が消えていき、新人を育てる場も失われていくのです。
中心になったのは、やはり朝日新聞でした。
高山
80年代初め、社会部デスクのとき、編集局長が来て「被疑者でも今日から呼び捨てが禁止になった」と言われました。
「えっ?」と、まさに寝耳に水のことだった。
それまでの社会部事件モノの記事には形があった。
「静岡県警○○署は○日、前科7犯、無職、近藤安広こと金嬉老(61)を」……みたいに書いていた。
それが前科も書いちやダメ、呼び捨てもダメ、朝日新聞なぞは韓国名もダメにした。
三浦和義だったら「元社長」と、苦労してでもいいから、とにかく肩書きを入れるようになった。
中卒で無職、それで悪いことばかりしている人間だったら、どうするのか。
「元中学生」と書くのか、みたいなことが真顔で語られた(一同爆笑)。
冗談みたいな話だけど、そういうことがまかり通るようになってしまった。
第一、そんなことで人権を守ることができるのか。
そこまでして守るべき人権なのか。
その本質がまったく語られず仕舞いだった。
門田
そういう流れがあって、写真掲載がタブーになっていったのです。
この稿続く。