偽善ジャーナリズム――凶悪犯罪を隠し、人権を口実に真実を歪めてきた新聞の罪
神戸連続児童殺傷事件、福岡一家四人殺害事件、世田谷一家殺害事件をめぐる報道を通じて、新聞が「人権」や「良識」を口実に凶悪犯罪の実態を隠し、読者の判断を誤らせてきた構造を厳しく告発する一篇。
少年法の運用、実名報道、外国人犯罪報道、そして戦後日本の新聞が抱え込んだ偽善の本質を鋭く抉っている。
2019-07-01
2003年に発生した「福岡一家四人殺害事件」も、犯人の中国人たちの手口を見ると、怖気(おぞけ)を震うほど、おぞましいものだ。
以下は前章の続きである。
偽善ジャーナリズム
高山
本書を読んで、元記者として反省する思いがあったのが神戸連続児童殺傷事件(1997年)の「少年A」の扱い方だ。
彼は非行どころか反社会的な異常性犯罪者なんだ。
簡単に少年法は適用すべきじゃなかった。
少年Aが性犯罪者だということ、その犯罪の異常さの詳細を新聞が人権を口実に故意に隠したから、彼に対する判断が狂ってしまった。
そういう情報不足の間隙をついて朝日は「彼が(少年院から)出てきたとき、社会は温かく迎えなければいけない」と書いていた。
実名も所在もわからなくして、温かく迎えろなど、寝言を言うなと思うが、それで少年に対する判断をさらに狂わせていく。
インディラ・ガンディー首相がシーク教徒の護衛によって暗殺される事件があった。
その後、ニューデリーでシーク教徒がイスラム教徒に街中で火をかけられ、焼き殺される事件が相次いだ。
シーク教徒の累々とした焼死体を遠景で撮った写真があった。
その写真を載せようとしたら、編集長が「ダメだ」と言う。
「新聞は朝の食卓で読まれるものだ。
こんな残酷な写真を見せられるか」と。
別に食卓で読まなくてもいいのに(笑)。
報道人の良識として許されないと言うけど、我々は読者に判断材料を提供するのが仕事だ。
材料をどう解釈するかについては、助言なり、ニュースの本質を提供するのが我々の仕事だろう。
良識を口実に読者に見せるのを、あるいは伝える情報を制限するなど報道人の思い上がりだと、編集長と大喧嘩になった。
最終的に僕はサンスポに飛ばされるハメになったけど(一同爆笑)。
門田
おかしな雰囲気が蔓延していたんですね。
高山
「少年A」にしても、彼の性犯罪の残忍さは、新聞に一切掲載されない。
逆を言えば、記者は取材しても載らないことがわかっているから、取材しなくなる。
何もわからないから、結果的に「少年A」のことを、ワケ知り顔で「社会は温かく迎えるべきだ」という論評になってしまう。
2003年に発生した「福岡一家四人殺害事件」も、犯人の中国人たちの手口を見ると、怖気(おぞけ)を震うほど、おぞましいものだ。
全員が切られ、抉られ、殴打され、中には顔が歪み、後頭部が陥没するほどだった。
凌遅の刑もやっていた。
こういう外国人が犯した事件を新聞記者が報じないから日中友好、日本の敷居をもう少し低くしようなどという愚論が出てくる。
彼らがどんな連中かを知らせる義務があるというのに。
「世田谷一家殺害事件」(2000年)だって、犯人は韓国製の靴をはいていた。
指紋も大量に残されながら、いまだに犯人は捕まっていない。
なぜかといったら、事件の9年前に、海部俊樹と盧泰愚が凶悪犯罪者でも特別永住者は韓国に送還しないと決めた。
韓国語を知らないから生活ができないというのが理由だった。
そんな論議の中で、在日韓国人の指紋押捺をやめることも決まった。
さらに入国する韓国人を含む外国人の指紋押捺もやめた。
それが施行された8ヵ月後に「世田谷一家殺害事件」が発生した。
門田
韓国の男子は徴兵されるので、ほぼ全員、指紋はわかります。
もし、本当に韓国人が犯人ならば、照合すればすぐに見つけられたはず。
しかし、韓国側の協力が得られず、わからなかったとされています。
高山
2001年に9.11テロが発生して、それまでノーチェックで入国できたのが、今は指紋認証から顔認証もやる。
あの時代はホントにおかしかった。
門田
一言で言えば「偽善」ですよ。
新聞は、かつて浅沼稲次郎を暗殺した山囗二矢であろうと、連続ピストル射殺事件の永山則夫であろうと、少年法があったにもかかわらず実名報道しています。
それは総則第一条に少年法が対象にするものが「少年の非行」であることが明確に定義されているからです。
では、浅沼稲次郎を刺殺したり、連続して四人を射殺したりするのは、果たして「少年の非行」でしょうか。
そんなことはありません。
それは「非行」などではなく、立派な「凶悪犯罪」だからです。
新聞には、かつてはそういう常識があり、これは非行ではないので少年法は適用されず、刑事訴訟法で裁かれると判断し、きちんと実名報道をやっていたわけです。
実際に家庭裁判所は「これは少年法の範囲内の犯罪ではない」と判断すると、検察に送り返します(注:「逆送」のこと)。
検察がこれを起訴した段階で少年は刑事訴訟法に基づき、公開法廷で裁かれるわけです。
ところが、あるときから、新聞は凶悪な少年犯罪に対しても実名報道をやめます。
新聞は少年の犯罪が非行かどうかというそれまでの思考を一切、やめてしまったのです。
日弁連の弁護士がマスコミ倫懇の講演で言うとおりの“うわべだけの人権論”が幅を利かせてきたわけです。
新聞は、いつも建前、偽善、うわべだけの正義ですからね。
犯罪少年を甘やかすことは、彼らをのさばらせ、実は平穏に暮らす少年・少女、つまり、自分たちの息子・娘たちの命を危険にさらすことなのに、新聞はそのことにすら思いが至らない。
さらにすごいのは、文藝春秋や新潮社が実名報道を続けていると、社説で「売らんかなの姿勢は許されない」「少年たちの未来を奪うな」と、自分たちがそれがでやってきた報道も忘れて、天に唾するような批判を展開してくるんです。
こういう偽善ジャーナリズムに抵抗する心ある記者は、新聞社にはいなかったのでしょうか。
高山
ずいぶん抵抗しましたよ(笑)。
この稿続く。