松陰は世界史の中で日本の行く末を案じていた—徳富蘇峰『吉田松陰』に見る大義と志の系譜
2019年7月7日発信。
産経新聞書評欄で紹介されていた徳富蘇峰『吉田松陰』を通じて、吉田松陰の世界史的視野と圧倒的な行動力、そして横井小楠、徳富蘇峰、後藤新平へと連なる「大義と志」の系譜を論じた一篇。
アヘン戦争後の国際情勢を見据え、日本の進路を真剣に考え抜いた松陰の思想と生き方の大きさに、改めて深い感銘を受ける内容である。
2019-07-07
松陰は、アヘン戦争で清朝がイギリスに敗れ、次は日本が狙われる、といった強い危機感のもと、「世界の中で日本はどう生きるべきか」と考え、世界を知るために密航を企て
以下は今日の産経新聞の書評欄からである。
5年前の8月まで朝日を購読していた時分に精読していたのが書評欄だったのだが…天声人語等は殆ど斜め読みしていた…結局は、しょうもないだけではなく日本に天文学的な損害を与え続けて来た連中の書評を読まされていた事に対する無念さと怒りから、朝日の購読を止め、産経、日経、読売の3紙の購読に切り替えてからも書評は殆ど読まなくなった。
たまに産経の書評だけは読むことがある。
今日がその日だったのだが、ご紹介したい良い書評が二つあった。
吉田松陰 徳富蘇峰著(岩波文庫・780円十税)
吉田松陰(1830~59年)の本を読むようになったのは大学卒業前の頃です。
内定していた企業が1社ありましたが、入社する気になれず、塾でも始めようかと思っていました。
幕末の私塾を調べる中で、松陰が教えた松下村塾のことが気になり、図書館で松陰の「幽囚録」などを読んでいました。
昭和56年ごろ、明治から昭和にかけて活躍した第一級のジャーナリスト、徳富蘇峰の『吉田松陰』が岩波書店から復刊され、手に取りました。
松陰はペリーが再来した1854年、下田で海外への密航を企て失敗。
幽閉中、松下村塾で教え、最後は幕府の対外政策を批判し刑死しました。
蘇峰は松陰の生涯を時代の中に位置づけ、短い表現で本質をとらえています。
冒頭の「誰ぞ 吉田松陰とは」では、「彼は多くの企謀を有し、一の成功あらざりき。
彼の歴史は蹉跌の歴史なり。
彼の一代は失敗の一代なり」と記し、維新との関連では「彼はあたかも難産したる母の如し。
自から死せりといえども、その赤児は成育せり、長大となれり」と評価しています。
旅と囚獄生活が長かった松陰について、蘇峰は「日葵が恒(つね)に太陽に向う如く、磁針が恒に北を指す如く、川流の恒に海に入る如く、彼の心は恒に家庭に向かって奔れり」と家族愛の深さを説き、妹に対し「婦人は夫を敬う事父母同様にするが道なり」と記した手紙を紹介。
松陰が自らの死刑の決定を知った際に作った「親を思う心にまさる親心 きょうの音ずれ何と聞くらん」との歌を記し、両親への思いを挿入しています。
同時代のイタリアの革命家マッツィーニと比べるなど、世界史的視野で同時代を見ているのもユニークで、興味がかき立てられます。
松陰は、アヘン戦争で清朝がイギリスに敗れ、次は日本が狙われる、といった強い危機感のもと、「世界の中で日本はどう生きるべきか」と考え、世界を知るために密航を企てました。
読み返す度に、20代でそこまで真剣に生き、死を覚悟して、世界史の中で日本の行く末を案じていた松陰のスケールの大きさ、行動力に、160年後の今、感銘を受けます。
現在、幕末に生まれ、明治・大正・昭和初年を生きた「時代の先覚者」後藤新平に着目しています。
後藤は幕末の思想家、横井小楠の高弟、安場保和(やすばやすかず)に見いだされた。
同じく小楠の弟子たる父をもつ蘇峰とは、終生の友となった。
松陰も数度、小楠を訪ね、教えを請うています。
小楠-松陰―蘇峰-後藤という「大義と志」の系譜が、はっきりと見えてきました。
平成元年に藤原書店を立ち上げ、『地中海』など“新しい歴史”アナール派の書を数多く出版してきましたが、それは国境を越えて全体を捉える歴史の眼を日本に紹介するためです。
松陰と同様に、世界史的視野で日本の進むべき方向性を考え、出版人として役に立てればと思っています。
感銘受けた世界史的視野
藤原書店社長
藤原良雄
ふじわら・よしお 昭和24年、大阪府生まれ。
大阪市立大卒。
平成元年、藤原書店を創業し、仏歴史家、ブローデル著『地中海』(全5巻)の出版が話題に。
平成30年、仏で最も権威のある学術団体アカデミー・フランセーズの仏文学顕揚賞を受賞した。
◇ 徳富蘇峰の『吉田松陰』は明治26年に出版。
幕末の志士に与えた松陰の影響や他国の英雄との比較などを論じ、数ある蘇峰の史論の中で傑作とされる。