朝日新聞の政権批判は自己紹介である――阿比留瑠偉氏が暴く「嘲笑する報道」と慰安婦報道の欺瞞

2019年7月21日発信。
産経新聞掲載の阿比留瑠偉氏の論考を紹介し、朝日新聞の安倍政権批判が、実は朝日新聞自身の姿を映しているのではないかと論じる。
慰安婦問題における吉田清治証言報道、異論への敵視、読者への刷り込み、そして「嘲笑する報道」の姿勢を通じて、朝日新聞の報道体質を批判する。

2019-07-21
朝日は異なる見方を敵視し、さげすんできた自分たちの姿を、勝手に安倍首相に投影しているのではないか。
以下は今日の産経新聞に掲載された、現役の記者としては当代最高の一人である阿比留瑠偉氏の論文からである。
朝日新聞が偏執病患者達…だが、その態様は「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」の国の民族特有の執拗さと全く同質のものであることを満天下に晒してもいるのだが…と言っても全く過言ではない下種野郎と下種女郎達だらけの異常な新聞会社であることを、これでもかというほど実証している。
それにしても、こんな新聞会社と、これを盲信して来たNHKが5年前の8月まで日本を支配して来た事を思えば、身の毛もよだつ話である。
世界史でも最も愚かで恐ろしい怪奇現象が日本を覆っていたのである。
朝日新聞 自らを映す政権批判。
さながら延々と続く朝日新聞の自己紹介のようだなと、読むたびに感じる。
朝日は連日のように安倍晋三首相とその政権を同じ切り口で批判しているが、自分たちのことを言っているかのように読めてしまう。
例えば17日付朝刊の社説「政権党の度量はどこに」はこう書いていた。
「幅広い合意づくりの努力を怠り、自らを支持する勢力に依拠して強引に政治を進める政権の振る舞い」
「野党をただ敵視し、異論を受け止める寛容さに欠ける政治は、社会の分断を深めるだけだ」
また、同日付朝刊のコラム「多事奏論」で、高橋純子編集委員も断じていた。
「異なる意見や価値観を、時間をかけてすり合わせ、何とか妥協点を見いだして折り合う。
その意志と行動を欠いていたら、どんなに言葉を重ねても、それは議論とは言えない」
多様な意見に耳を傾け、寛容さと敬意を持って意見の違う相手とも向き合えという主張なのだろう。
一見もっともな言い分だが、常に自分たちが絶対正義で、異なる意見は異物として排除・弾圧してきた朝日が言っても白けるだけである。
同じ主張刷り込む。
ただ、こうした論法は最近の朝日のお気に入りのようで、14日付朝刊のコラム 「日曜に想う」でも福島申二編集委員がやはりこう記していた。
「秋には歴代最長の総理大臣になろうという人にして、いまだに相手をさげすむことで自身を誇るようなふるまいが止まぬのは不思議である」
「首相には、反対者をも含めて国を代表していく姿勢が乏しい」
同じ視点で、7日付朝刊の連載記事「問う 2019参院選」の第1回「『嘲笑する政治』続けるのか」では松田京平政治部次長が決めつけていた。
「身内で固まってあざ笑う―。
自分が相手より上位にあり、見下し、排除する意識がにじむ」
「人をさげすむ政治が生んだ差別や同調圧力の根は深い」
「異なる考えを包摂することなしに、残り2年余の自民党総裁任期を全うするつもりなのだろうか」
朝日の意見・見解に従わない安倍首相が目障りで仕方がないのが分かる。
それにしても手を替え品を替え、書き手を替えて同じ主張を読者に刷り込もうとしているかのようである。
異なる見方を敵視。
だが、身内で固まってあざ笑い、「嘲笑する報道」を続けてきたのは朝日自身ではないだろうか。
朝日は慰安婦問題をめぐって、朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した故吉田清治氏を取り上げた記事を18回も報じてきた。
そして読者から「そんなことは見たことも聞いたこともない。
軍律、兵隊の心情にてらしても、それはありえない」といった疑問が寄せられると、平成4年3月3日付夕刊コラム「窓」で、こうせせら笑うように反論している。
「知りたくない、信じたくないことがある。
だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」
この年4月には、産経新聞が30日付朝刊社会面トップで、吉田証言について 「強制連行証言に疑問 加害者側の“告白”被害者側が否定」の見出しで、吉田証言の信憑性は怪しいことを報じた。
にもかかわらず、朝日はその内容を調査・検証しようとはせず、取り合おうともしなかった。
この時点で朝日が吉田証言関連記事を訂正・取り消していれば、慰安婦問題はここまで大きく広がらなかったはずである。
朝日は異なる見方を敵視し、さげすんできた自分たちの姿を、勝手に安倍首相に投影しているのではないか。
(論説委員兼政治部編集委員)

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