連合国の歴史解釈を鵜呑みにした戦後知識人――中島健蔵と進歩的文化人への批判

2019年8月15日発信。
戦後日本の「文化の日」をめぐる中島健蔵の文章を取り上げ、日本の近代を封建主義とし、ファシズムの原因を古い社会意識に求める連合国由来の歴史解釈を、戦後知識人が無批判に受け入れたことを批判する。
中野好夫、桑原武夫、久野収、小田切秀雄、本多秋五、鶴見俊輔ら進歩的文化人の姿勢を通じて、占領下日本における自由意志喪失への認識の欠如を論じる。

2019-08-15
この手の知識人は人文系だけでも中野好夫、桑原武夫、久野収、小田切秀雄、本多秋五、鶴見俊輔など枚挙にいとまがなかった。
日本の近代は封建主義であり、封建主義の古い体質がファシズムの原因だったという、連合軍が日本に押しつけてきた歴史解釈をそのまま、と題して2018-08-14に発信した章である。
以下は前章の続きである。
連合国の歴史解釈を鵜呑み
その同じ頃、昭和23年(1948年)11月3日に、最初の「文化の日」が来た。
それまでは「明治節」だった。
新聞には何のことか分らないと正直につぶやく声もあった。
その日の「東京新聞」が私の日記に挟み込みで保存されていた。
「燈火親しむべき秋の夜長をローソクも不自由な状態で停電におびやかされながら、さむざむと供出芋の皮をむく」と自嘲ぎみに茶々を入れている新聞記者の皮肉な文章には当時の世相が反映されていて好感がもてたが、いちばんいけないのは、訓辞口調で偉そうに「文化の日」の意義を説く言論知識人の、学芸欄にのせられた例えば次の文である。
筆者はフランス文学者、東大教授中島健蔵。
「今の日本には、思想の対立がある。
これは、だれにすすめられたのでもなく、日本人が勝手にやっている対立であるが、これを左右の爭いと見ることは、世界なみの見方にこだわりすぎているのである。
見かけはともかく、今の日本にある一ばん深刻な対立は、新旧の対立なのだ。
古いものは、根強く心の中に残っている。
しかも、それらは、だんだんに滅びようとしている。
古いものが悪いときめるわけではない。
古いものの中に、悪いものがあって、それがこびりついているのである。
それは何か、封建的社会意識。
そして、その上に塗られたファシズムの皮。
「文化の日」という新しい祝祭日は、この甘皮をはぎ落し、その下にうごめく古い社会意識を風にあてて、崩壊させてしまうための日にしなければならぬ。」
何というありふれた当時の通念であろう。
何という軽薄なもの言いであろう。
日本の近代は封建主義であり、封建主義の古い体質がファシズムの原因だったという、連合軍が日本に押しつけてきた歴史解釈をそのまま鵜呑みにして、自分の考えというものが何もない。
知識人が共産党に雪崩を打つように入党した時代の流行のものの言い方である。
いうまでもなく中島健蔵は、何十年と性懲りもなく愚かなことを語りつづけた進歩的文化人の代表の一人である。
十歳ぐらい年を重ねた後の私は、一流雑誌に彼の文章が堂々と載ることを疑い、目にするたびに汚いもので目が穢れる思いにおびえ、思わずページを伏せたものだった。
この手の知識人は人文系だけでも中野好夫、桑原武夫、久野収、小田切秀雄、本多秋五、鶴見俊輔など枚挙にいとまがなかった。
彼らには自分の国が新たな囚われの身であり、自由意志を奪われていることが平和の代償であるとの幼い私にさえあった苦い認識がみじんもなかった。
この稿続く。

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