雲一つない快晴の長居植物園|プロコフィエフ《古典交響曲》|沖澤のどか指揮:NHK交響楽団
2026年5月、雲一つない快晴の日に撮影した長居植物園の薔薇写真集。
5月11日の長居植物園を中心に、5月19日の長居植物園の薔薇を加え、沖澤のどか指揮、NHK交響楽団によるプロコフィエフ《古典交響曲》作品25、16分20秒に合わせて制作した。
NHK交響楽団がYouTubeで公開した今年3月の福島県いわき市公演を聴き、私は演奏開始の瞬間に沖澤のどかの才能の凄さを認識した。
2026年5月。
雲一つない快晴の日に撮影した長居植物園の薔薇写真集である。
中心に置いたのは、5月11日の長居植物園。
この日は、文字通り、雲一つない快晴だった。
その光の下で撮影した薔薇は、素晴らしい写真群となった。
そこに、5月19日の長居植物園で撮影した薔薇を加えた。
当初は、5月11日の写真232枚と、5月19日の写真71枚をすべて入れることも考えた。
しかし、音楽の時間に合わせて、最終的に枚数を削った。
使用した音楽は、沖澤のどか指揮、NHK交響楽団によるプロコフィエフ《古典交響曲》作品25。
演奏時間は16分20秒。
NHK交響楽団が今年3月、福島県いわき市で開催したコンサートをYouTubeでリリースした。
私は程なくして、偶然、発見した。
驚愕した。
演奏が始まった瞬間に沖澤のどかの才能の凄さを認識したからである。
この様な驚きは本物の天才に遭遇した時にだけ生じるもの。
20歳前後の頃、アルゲリッチの最初の一音を聴いただけで驚嘆したように。
実に長いブランクを経て、私がクラシック音楽の演奏会に聴衆として復帰した事は既述の通り。
昨夜の素晴らしい時間も…全ては夏帆のお陰なのだが。
天才は天才を知る。一流は一流を知る。
今朝の産経新聞には田村秀男氏が高橋洋一さんと並んで日本に存在しているたった二人と言っても過言ではない本物の経済論者としての論文を書いている。
高市首相を始めとした日本国民全員が必読の論文である。
皇室に関しては高橋洋一さんが一昨日に高橋洋一チャンネルで発信した番組を日本国民全員が必視聴である。
素晴らしいクラシック演奏会を開催した者達は、出来るだけ速やかに、YouTube等を通して、国民全員に公開すべきである。
そうすればクラシック音楽は隆盛に向かう。
それ以外に、クラシック音楽が、正しい場所に在る道はない。
クラシック音楽は一部の利害関係者だけの流通品ではない事をいい加減に知るべきなのである。
以下は、プロコフィエフ《古典交響曲》作品25についての解説である。
プロコフィエフの《古典交響曲》作品25は、正式には、交響曲第1番ニ長調作品25「古典」という作品である。
作曲は1916年から1917年。
プロコフィエフがまだ20代半ばの時の作品である。
初演は1918年、ペトログラードで、作曲者自身の指揮によって行われた。
この曲は、題名の通り「古典交響曲」と呼ばれている。
ただし、これは単なる古典派の模倣ではない。
プロコフィエフが、もしハイドンが20世紀に生きていたら、どのような交響曲を書いただろうか、という発想で書いた作品である。
つまり、外形はハイドン風。
しかし中身は完全にプロコフィエフである。
軽快で、明るく、透明で、短く、均整が取れている。
しかし、その中に、20世紀的な鋭いリズム、意表を突く転調、皮肉、ユーモア、そしてプロコフィエフ特有の乾いた輝きがある。
第1楽章は、ニ長調の明るい響きで一気に始まる。
古典派の交響曲のように明快で、リズムも軽い。
しかし、旋律の跳躍や和声の動きには、すでにプロコフィエフ特有の鋭さがある。
上品な古典様式の衣をまといながら、ところどころで現代的な笑みを浮かべているような音楽である。
第2楽章は、ラルゲット。
優雅で、少し夢見るような楽章である。
ここでも、ただ美しいだけではない。
古典的な気品の中に、少し浮遊するような不思議な感覚がある。
旋律はなめらかだが、和声の色がどこか普通ではない。
プロコフィエフの抒情性が、非常に洗練された形で現れている。
第3楽章は、ガヴォット。
ここがこの曲の大きな特徴である。
通常の古典派交響曲ならメヌエットやスケルツォが置かれる位置に、プロコフィエフは古風な舞曲であるガヴォットを置いた。
このガヴォットは、品があり、愛嬌があり、同時に少し皮肉でもある。
第4楽章は、非常に速く、機知に富んだ終楽章である。
軽快で、弾むように進む。
オーケストラ全体が、精密な機械のように、しかし生き生きと動く。
ここでは、古典的な明快さと、プロコフィエフらしいリズムの鋭さが見事に一体化している。
この曲の魅力は、重厚さではない。
巨大な精神世界を描く曲でもない。
むしろ、短い時間の中に、明快さ、洒落、知性、若々しさ、そして完璧な職人技が詰め込まれている。
ブラームスの交響曲第3番が「人生の秋」の音楽だとすれば、プロコフィエフの《古典交響曲》は「若い知性の微笑」の音楽である。
深刻に泣かない。
大声で叫ばない。
しかし、軽さの中に、非常に高い完成度がある。
この曲には、重厚な薔薇よりも、光、速度、機知、若さ、透明な空気が合う。
だから私は、快晴の長居植物園の薔薇を選んだ。
長居植物園の薔薇には、明るさがある。
開放感がある。
そして、プロコフィエフ《古典交響曲》の軽やかな知性と響き合う、弾むような光がある。
第1楽章の爽快な出だし。
第2楽章の優雅なラルゲット。
第3楽章の古風で愛嬌のあるガヴォット。
第4楽章の俊敏で機知に富んだ終楽章。
その全体を通して、沖澤のどかの指揮には、若さだけではない、確かな構成力と鮮烈な音楽性があった。
この写真集は、その演奏を聴いた瞬間の感動から生まれた。
5月の快晴。
長居植物園の薔薇。
プロコフィエフ《古典交響曲》。
沖澤のどか指揮、NHK交響楽団。
この四つが、一つの作品として結びついた。