「人命より人権」でいいのか――新型肺炎が突きつけた平和ボケ憲法の限界
2020年3月10日。新型肺炎の拡大は、日本の法体系と憲法が有事を想定していないという重大な欠陥を露呈した。公共の福祉よりも個人の人権が優先され、政府や首相が緊急時に迅速な権限行使をできない現実こそ、憲法改正と緊急事態条項の必要性を示している。
2020-03-10
前文からして、「世の中には優しい人しかいないから、日本さえ悪いことをせずにじっとしていれば世界は平和」という発想ですから。
以下は発売中の月刊誌WiLLに、この非常時に 公共が人権にひれ伏してどうする!と題して掲載された、現役最高の記者の一人である阿比留瑠比氏の論文からである。
「人命より人権」でいいのかー国難が”平和ボケ”日本に突きつけた憲法の限界
危機に弱い日本
新型肺炎の拡大を前に、我が国の限界が白日の下に晒されています。
これまで日本は、事が起こってからその都度、法律をつくってきました。
例えば伊勢湾台風の後の災害対策基本法、東海村臨界事故を受けた原子力災害対策特別措置法。
そのため、赤軍派によるハイジャック事件など法律が想定しない事態を前にすると慌てふためいた。
阪神・淡路大震災、東日本大震災では、民法上の「所有権」が車両や瓦礫の撤去を遅らせ、スムーズな救助活動を妨げました。
日本の法体系は憲法がそうであるように、有事を想定していないのです。
さらに悲しいことに、わが国がすでにある法律すらマトモに運用できないのも事実です。
村山富市政権は、地下鉄サリン事件が起こってもなお、オウム真理教に破壊活動防止法を適用できませんでした。
菅直人政権も福島原発事故で、国内政局を優先して原子力緊急事態宣言を出すまで時間がかかってしまった。
今回のように、武漢がある湖北省や浙江省など、特定地域への滞在を理由にした入国拒否は初めてのことです。
官邸が出入国管理法を何とかやりくりして押し切って適用した形ですが、当初、法務省は「根拠法がない」と難色を示したといいます。
法の解釈には限界がある。
感染症拡大という事態を想定して法律がつくられていたら、首相や官邸がもっと素早く動いたり、入国規制の大きな網を張ったりできたはずです。
武漢から政府チャーター機で帰国した二人が、「国の検査対象に該当しない」とウイルス検査を拒否しました。
安倍首相は「法的な拘束力はない」と言うしかありませんでしたが、果たしてそれでいいのか。
憲法十二条には、基本的人権といえど「公共の福祉」のためには制限される、という趣旨が明記されています。
にもかかわらず、公共の福祉が人権にひれ伏してしまった。
平和”ボケ”憲法
戦争や原発事故、台風や地震といった自然災害に加え、新たに感染症という「無慈悲」な事態が目の前に現れました。
すでに新型肺炎で日本人の死者が出ています。
今後、どれほど猛威を振るうかわかりません。
習近平主席の来日中止すら囁かれていますが、喜んでもいられない。
そこまで深刻な事態だということは、世界不況という次の非常事態の引き金になる可能性もあるわけです。
消費税を上げたばかりの日本経済にとっても、当然、深刻な問題です。
事が起こってから反省を踏まえて根拠法を積み上げることも重要ですが、法律で細かく規定しきれない事態に備え、政府や首相に権能を集中させる憲法上の大きな枠組みが必要です。
結局、日本国憲法が有事を想定していないことが最大の問題。
前文からして、「世の中には優しい人しかいないから、日本さえ悪いことをせずにじっとしていれば世界は平和」という発想ですから。
自民党や一部マスコミから、憲法への緊急事態条項盛り込みの必要性を説く声が上がるのは当然といえます。
現状では国民の命を守るためには、ときに超法規的措置、法律違反、を命じなければなりません。
緊急事態条項がないまま中途半端に権限集中を許してしまえば、それこそ「立憲主義」に反することになる。
日本には「口に出したことが本当になってしまう」という言霊信仰があります。
小泉純一郎政権時代、安倍晋三官房副長官、当時、が官邸内で北朝鮮有事のシミュレーションについて話していたとき、福田康夫官房長官、同、は「そんなことを口にすると本当になってしまうから、口にするな」と止めてしまった。
政権中枢ですら、非科学的な言霊信仰にとらわれているのです。
この稿続く。