「文明のターンテーブル」が回る日本――米中技術競争、大規模で持続的な投資、財務省とオールドメディアに問う国家の未来

2026-08-13
ブルームバーグの記事の最後に、極めて重要な言葉が記されている。
中国の技術・産業政策を研究するブルッキングス研究所のフェロー、カイル・チャン氏はこう話す。
「最終的に米中間の技術競争を左右するのは、イノベーションと産業能力の両方に対する大規模で持続的な投資だ。これらすべての要素を兼ね備えた国が、持続的な優位性を手にすることになるだろう」
これは、米国と中国について述べた言葉である。
だが、私は、この言葉こそ、今の日本の財務省とオールドメディアが真正面から受け止めなければならない言葉だと思う。
しかるに、日本の財務省とオールドメディアは、何を考えているのか。
世界では、AI、半導体、量子、宇宙、ロボット、バイオ、エネルギー、先端素材といった分野への投資が、単なる企業の設備投資ではなく、国家の力そのものを決める戦いになっている。
米中が競っているのは、今年の財政収支ではない。
10年後、20年後に、誰が世界の基幹技術を握り、誰が生産設備を持ち、誰がサプライチェーンを支配し、誰が世界標準を決めるのか、という国家の命運そのものなのである。
ここで最も重要なのは、カイル・チャン氏が「イノベーション」だけを言っていないことである。
「産業能力」も同時に挙げている。
研究室の中で世界一の発明をしても、それを国内で量産できなければ国家の力にはならない。
世界一の論文を書いても、それを製品にし、工場を建て、素材を供給し、電力を確保し、人材を育て、世界市場を取るところまで行かなければ、その果実は他国に奪われる。
日本は、この失敗を既に何度経験してきたのか。
液晶、太陽電池、半導体、デジタルプラットフォーム。
研究でも技術でも先頭に立ちながら、産業化と大規模投資の段階で後れを取り、巨大市場を他国に渡した例は一つや二つではない。
それにもかかわらず、国家的な投資を論じるたびに、「財源はどうする」「国債残高が増える」「将来世代への負担だ」という話ばかりを先に持ち出すなら、その思考そのものが21世紀の国家間競争に適応していないのである。
もちろん、無駄な支出をしてよいと言っているのではない。
ここを混同する議論こそ愚かなのである。
消えてなくなる支出と、将来の所得、税収、技術、産業、雇用、安全保障能力を生み出す投資とは、本来、全く違う。
100億円を浪費することと、100億円を使って将来1兆円の産業を作ることを、同じ「歳出」という一つの箱に入れて論じること自体がおかしいのである。
同時に、国家予算の優先順位そのものを根本から組み替えることも喫緊の課題である。
令和8年度の男女共同参画基本計画関係予算は約4,330億円、こども家庭庁予算は一般会計と子ども・子育て支援特別会計の合計で6兆3,913億円に上る。
男女共同参画政策やこども家庭庁をはじめ、巨額の公費が毎年投入されている既存政策について、その成果と費用対効果を一つ一つ徹底的に検証しなければならない。
私には、その中には、殆ど無駄の集積と言っても過言ではない事業、目的の重複した事業、投入した税金に見合う成果を到底説明できない事業が数多く存在しているように思える。
国家の将来を左右する半導体、AI、量子、エネルギー、宇宙、バイオ、ロボット、先端素材、人材育成への投資には「財源がない」と言いながら、一方で既存制度については聖域のように毎年巨額の予算を投じ続けるのであれば、それこそ国家予算の優先順位が完全に逆立ちしている。
必要なのは、単なる歳出削減ではない。
日本の未来を生み出さない支出を削り、日本の未来を生み出す投資へ国家資源を大胆に移すことである。
企業経営者なら誰でも知っている。
投資をしなければ企業は衰退する。
工場を更新しない。
研究開発をしない。
人材を育てない。
新市場に進出しない。
そして毎年、「今年は借金を減らしました」と胸を張っている会社があったとしたら、その会社の将来がどうなるかは明らかである。
国家も同じではないか。
むしろ国家の場合、技術力と産業能力は安全保障そのものでもある。
半導体がなければ自動車も動かない。
AI計算基盤がなければ次世代産業で戦えない。
エネルギーを他国に握られれば外交の自由を失う。
医薬品を海外に依存すれば非常時に国民の生命まで他国の判断に左右される。
造船力、生産設備、工作機械、素材、通信、宇宙技術を失えば、防衛力さえ維持できない。
つまり、産業政策とは経済政策であると同時に、安全保障政策なのである。
日本政府も、ようやくそのことを政策として明瞭に認識し始めている。
AI・半導体分野では2030年度までの7年間に10兆円以上の公的支援を行い、それを呼び水に10年間で50兆円を超える官民投資を促す枠組みが既に打ち出されている。
令和8年度予算でも、次世代半導体関係の巨額投資に加え、AIロボット・フィジカルAIを見据えた基盤モデル開発など、大規模な支援が計上されている。
これは正しい方向である。
問題は、これを例外的な一時政策として扱うのか、それとも国家運営の根幹に据えるのかである。
カイル・チャン氏が使った言葉をもう一度見ればいい。
「大規模」である。
そして「持続的」である。
この二語こそ核心なのである。
一年だけ予算をつける。
景気が悪くなれば削る。
財政赤字が話題になれば削る。
オールドメディアが「バラマキ」と書けば腰が引ける。
これでは世界的な技術競争には勝てない。
半導体工場も、大学の研究力も、人材育成も、電力網も、量子技術も、10年、20年という時間を必要とする。
中国は国家を挙げてそれを続ける。
米国も、中国との競争が国家安全保障そのものだと理解して投資する。
日本だけが一年単位の財政収支の数字を眺めているなら、結果は最初から決まっている。
そして、私はオールドメディアにも問いたい。
巨額の技術投資のニュースが出るたびに、まず「財源」を問い、「国民負担」を問い、「財政悪化」を問い、それで報道を終えてはいないか。
問うべきことは、それだけではない。
その投資をしなかった場合、日本は10年後に何を失うのか。
その計算をしたことがあるのか。
2兆円を投じることの危険性を書くなら、2兆円を投じなかった結果、20兆円、50兆円、100兆円の市場を外国に奪われる危険性も同じ大きさで報じるべきではないか。
財政赤字には数字があるから記事にしやすい。
だが、失われた未来には、その瞬間には数字がない。
だからこそ、それを見通すのが知性というものではないのか。
財務省にも同じことを言いたい。
国の信用とは、国債残高だけで決まるものではない。
その国が何を生み出せるのか。
どれだけの技術を持っているのか。
どれだけの工場を持っているのか。
どれだけの人材を育てられるのか。
どれだけエネルギーと食料と重要物資を確保できるのか。
それらすべてが国家の信用であり、国家の力なのである。
そして、政府債務という一つの数字だけを切り取って、日本という国家全体の経済的基礎体力や将来への投資能力まで判断すること自体がおかしいのである。
国家の力を見るのであれば、政府が保有する資産も、国全体の対外資産も、民間部門の金融資産も、産業基盤も、技術力も、人的資本も見なければならない。
令和7年末の日本の対外純資産だけを見ても561兆7,504億円に上る。
私は、日本という国家が持つ総体としてのバランスシート、経済的基礎体力は、世界最高と言っても過言ではないほど強固なものだと考えている。
にもかかわらず、財務省は国債残高を前面に出し、オールドメディアはその論理をほとんどそのまま国民に流し続けてきた。
その結果、「日本には金がない」「財政が大変だから投資できない」「将来世代のために歳出を抑えなければならない」という思考が、あたかも絶対的な真理であるかのように日本社会に刷り込まれてきた。
だが、本当に将来世代を考えるのであれば、問うべきことは国債残高だけではない。
将来世代に、どれだけの技術を残すのか。
どれだけの工場を残すのか。
どれだけの研究者を残すのか。
どれだけのエネルギー供給能力を残すのか。
どれだけの国際競争力を持った企業を残すのか。
そして、どれだけ強く豊かな日本を残すのか。
それこそが、本当の意味での「将来世代への責任」ではないか。
財政指標だけを整えて、産業も技術も研究力も衰退させた国を子孫に渡すことが、どうして責任ある財政運営と言えるのか。
それは、財政健全化ではない。
国家の弱体化なのである。
そして、財務省が本当に財政規律を重視するのであれば、なおさら問われるべきなのは、あらゆる既存予算の費用対効果である。
長年続いているというだけで予算を存続させる。
省庁や組織が存在するから予算をつける。
一度作った制度だから既得権のように守る。
その一方で、国家の存亡を左右する研究開発や産業基盤への投資だけを「財源論」で縛るのであれば、それは財政規律ではない。
単なる予算配分の硬直化である。
無駄を削ることと、未来への投資を削ることは、全く違う。
ここを区別できない財政運営は、倹約ですらない。
国家を貧しくする政策なのである。
令和8年度の科学技術振興費は1兆4,378億円が計上されている。
ならば、この方向を徹底すべきなのである。
だが、ここで、さらに根本的なことを問わなければならない。
何故、財務省やオールドメディアは、これまで、これ以上ないほどに愚劣なことを続けてきたのか。
私は、その最大の理由は、彼らに「文明のターンテーブル」という認識がないからだと考えている。
日本という国を、単に人口が減少している国、かつて高度成長を遂げた先進国の一つ、としか見ていない。
だから、彼らの目に映るのは、目先の財政収支であり、国債残高であり、今年、来年の帳尻なのである。
だが、それでは日本という国の本当の姿は見えない。
私が長年書き続けてきた「文明のターンテーブル」とは、経済規模だけを論じる概念ではない。
文明と文化と知性が成熟し、それを世界のために用いる責任を負った国へ、神の摂理として文明の中心が移っていくという認識である。
そして今、その「文明のターンテーブル」は、米国と並んで日本に回っている。
私はそう確信している。
日本は、世界最高と言っても過言ではない民度を持つ国である。
世界最高と言っても過言ではない知性を持つ国である。
そして、世界でも稀有な美しい自然と文化を持ち、それらを数千年にわたって守り続けてきた国である。
これは一世代で作り上げられたものではない。
数千年にわたって、この国に生きた無数の日本人が、一代一代受け渡してきた文明そのものなのである。
だから、日本の国家経営を、単年度の財政収支だけで論じてはならないのである。
100年後、200年後の日本を考えなければならない。
そして私は、最低でも、あと170年、日本は米国と並んで世界をリードしていかなければならない国だと考えている。
実際には、もっと、もっと長い時間である。
永遠に、と言っても過言ではない。
これまでの2600年を受け継いだ私たちは、これからの2600年についても責任を負っているのである。
ここに、高市早苗首相と、従来の財務省的な国家観との決定的な違いがあると私は見る。
現在の高市内閣は「責任ある積極財政」を掲げ、成長投資・危機管理投資を国家戦略として進めている。
私は、高市首相を、歴代最高と言っても過言ではないほど聡明で、しかも決断力を持った首相であると評価している。
それは、彼女には日本が見えているからである。
世界が見えているからである。
日本が本来どれほど大きな可能性を持った国であるかを、単なる統計数字ではなく、皮膚感覚として認識している政治家だからではないか。
だからこそ、国家の力を強くし、将来の富を生み出すための積極財政を打ち出しているのである。
積極財政とは、単に国が金を使うことではない。
日本という文明を次の時代へ渡すために、今を生きる私たちが未来に対して行う投資なのである。
半導体も、AIも、量子も、エネルギーも、宇宙も、バイオも、ロボットも、そのために必要なのである。
研究者を育てることも、工場を国内に残すことも、電力を確保することも、国土を守ることも、全て一つにつながっている。
それは、日本という国を次の世代へ渡すためである。
財務省とオールドメディアに最も欠けているのは、この時間軸ではないか。
今年の予算ではない。
10年後だけでもない。
100年後、200年後、そして、そのはるか先まで日本をどう残すのかという国家観である。
日本は、衰退することを前提として国家経営をしてはならない。
日本は、世界最高の国であり続けることを前提として国家を経営しなければならない。
その責任を負っているのは、政府だけではない。
今を生きる日本国民全員なのである。
世界はいま、巨大な転換点にある。
AIは産業構造を変え、半導体は国家安全保障を左右する戦略物資となり、エネルギー、ロボット、宇宙、バイオ、量子が国家の富と安全保障を決める。
この時代に、最も危険な政策は、投資して失敗することだけではない。
何もしないことである。
投資しないことである。
研究者を失うことである。
工場を失うことである。
技術を失うことである。
そして失った後になって、「なぜ日本企業は世界で勝てなくなったのか」と論評することである。
そんな愚かなことを、これ以上繰り返してはならない。
カイル・チャン氏の言葉は米中について語られた。
だが、日本こそ、この一文を国家戦略の核心に刻むべきである。
イノベーションと産業能力の両方に、大規模で持続的に投資する国だけが、持続的な優位性を手にする。
ならば答えは明瞭ではないか。
日本は投資する国になるのか。
それとも、投資する米国と中国を横から眺めながら、財政収支の数字について論評するだけの国になるのか。
財務省とオールドメディアは、この問いに答えなければならない。
日本の未来を決めるのは、今年の帳尻ではない。
次の30年を生み出すために、今日、何に、どれだけ、そしてどれほど長く投資するかなのである。
そして、その先にあるものを忘れてはならない。
これまでの2600年を受け継いだ私たちは、これからの2600年にも責任を負っている。
これからの2600年も、日本は世界最高の国の一つとして在り続けなければならないのである。
そのために今日、何を残し、何を捨て、何に投資するのか。
それこそが、日本国民が果たすべき本当の責任なのである。
必要なのは増税ありきでも、無差別な歳出削減でもない。
不要なものを削り、必要なものには国家の命運を賭けて投資する。
それこそが国家経営である。
それが出来ない国家に、技術立国日本の再生などあり得ないのである。

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