自由と民主主義は軍事力の裏付けなくして守れない――戦後75年、「戦間期」の終わりに日本が考えるべきこと

2020年8月16日。産経新聞論説委員長・乾正人氏の「戦間期の終わりに備えよ」を引用し、香港、新疆ウイグル、チベット、内モンゴル、南シナ海、尖閣諸島、米中対立を背景に、自由と民主主義、平和を守るための軍事力と安全保障の現実を考える。

本文

2020-08-16
以下は、「戦間期の終わりに備えよ」と題して昨日の産経新聞に掲載された論説委員長・乾正人の論文からである。
自由と平和を守り抜くために
いつもとは違う「8月15日」を迎えた。
中国・武漢発の新型コロナウイルスの猛威はやまず、日本武道館で行われている全国戦没者追悼式は、参列者を昨年の10分の1以下に当たる約530人に制限して行われる。
正午にサイレンを鳴らし、プレーを中断して球児や観客が黙祷してきた夏の高校野球全国大会も先の大戦以来の中止となった。
終戦の日に大勢の参拝者が訪れる靖国神社を1日早く詣でると、「感染予防のため間隔を空けてください」との立て看板が立ち並んでいた。
いつもは満々と水をたたえている手水舎も水が抜かれ、柄杓もなく、竹筒から落ちる水で手を清める感染防止策がとられていた。
戦没者の遺品や武器などを展示している遊就館は、いつものように開いていた。
久方ぶりに参観したが、1万余に及ぶ戦死者の遺影が掲げられている1階の展示室に入ると、自然と頭が下がる。
なぜ首相は靖国に行かぬ
残念ながら今年も安倍晋三首相が靖国神社を参拝する予定はない。
それでいいのだろうか。
「戦時下」とも表現されているコロナ禍で人々が不安に駆られている今こそ、一国のリーダーが、戦没者の霊を慰め、人々の安寧を祈るときである。
時あたかも、世界情勢は緊迫の度を増している。
世界的に「鎖国」状態が続く中…中略。
何よりも米中対立が、コロナ禍によって一層、拍車がかかったことが世界情勢をより厳しくしている。
中国の習近平国家主席はきっと気を悪くするだろうが、いまの中国は、かの国の教科書が、蛇蝎のように嫌い、最大限の非難を浴びせかけている「悪い大日本帝国」のイメージ通りの行動をみせている。
第1は、言論の自由の封殺だ。
香港での民主派弾圧は、常軌を逸している。
いまだに死傷者数もはっきりしない「天安門事件」の香港版だが、治安維持法を根拠とした特高警察による左翼や自由主義者の弾圧は、児戯のように見えてしまう。
第2は、異民族への非寛容さである。
新疆ウイグル自治区やチベット、内モンゴルでの漢民族の振る舞いは、満州国での日本人のそれをはるかに上回っている(少なくとも満州国では、日中蒙などの民族融和を意味する「五族協和」を建前にしていた)。
極めつきは、軍事力の膨張だ。
南シナ海に軍事基地を次々と築き、空母を新造して米国の神経を逆なでしているのも大日本帝国と同じ軌跡を歩んでいる。
米中の軍事衝突に現実味
歴史を鑑としてみれば、軍事面を含め米中の全面的衝突は、かなりの現実味を帯び始めている。
ドイツがポーランドに侵攻した1939年に上梓され、その後の国際政治学に大きな影響を与えた「危機の20年」を執筆したE・H・カーは第一次大戦終結から第二次大戦勃発までを「戦間期」と分類した。
その伝でいえば、米国と中国が激突した朝鮮戦争が休戦となった1953(昭和28)年から67年も続いている「戦間期」が遂に終わりを告げるかもしれない。
もちろん、日本も人ごとではない。
尖閣諸島では、連日のように中国公船が接続水域に出没し、実効支配を虎視眈々と狙っている。
安全保障の根幹を日米安保条約に頼っている日本に、選択の余地は少ない。
だからといって手をこまねいていていいはずはない。
「危機の20年」の中で、カーは、理想的な民主主義国家を目指したドイツのワイマール共和国が、なぜヒトラーによって脆くも崩壊したかについてこう書いている。
「(ワイマール共和国が追求した)ほとんどの政策が、実戦的な軍事力に裏付けられておらず、むしろそれと激しく対立したからである。民主主義は実力に基づくものではないと信ずるユートピアンは、これら気に食わない事実を直視しようとはしないのである」(岩波文庫版)
自由も民主主義も、軍事力の裏付けなくして保持できないことは、戦後75年を経ても「事実」であり続けている。
戦争で亡くなった人々の霊を慰め、自由と平和を守り抜くためにわれわれは今、何をなすべきか。
きょう一日、静かに考えてみたい。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください