日帝の防疫――朝鮮半島に近代衛生をもたらした日本統治の実相
週刊新潮に掲載された高山正之氏の連載コラムから、桂タフト協定という都市伝説、フィリピン独立運動と日本人の義、そして朝鮮半島における日本統治下の防疫政策を紹介する。
本章は、日本が朝鮮を望んで併合したのではなく、むしろ「黄色い重荷」として押し付けられた可能性を論じる。
併合後、朝鮮半島を襲ったペスト、腸チフス、コレラに対して、総督府が交通遮断、隔離、集会禁止、衛生教育、便所整備、防疫自衛団などを通じて近代的防疫を実施したことを取り上げる。
また、武漢コロナに際して文在寅政権が中国人入国禁止に踏み切らなかったことを、歴史的防疫観念との対比で批判する。
2020-03-18
一方の朝鮮はすぐ隣にいながら、性格は日本人とは真反対。
まず義を知らない。
奸計に長け、自国の戦争すら他国に押し付ける。
以下は、本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る、高山正之の連載コラムからである。
本稿も、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
日本国民のみならず、世界中の人達は、彼の精進に感嘆し、尊敬の念を抱くはずである。
日帝の防疫。
日本近代史の都市伝説の一つに、桂タフト協定がある。
米国のフィリピン植民地化を認めよう。
その代わり、朝鮮は日本のものとするという話だ。
ただ、そんな外交文書は日本にも米国にもない。
史実に照らせば、これっぽっちも真実味はない。
例えばフィリピン。
スペイン支配に抵抗するアギナルドに、米国が独立を約束し、ともに戦った。
が、スペインが降伏すると、米国は約束を反故にして、フィリピンを自分の植民地にしてしまった。
怒るアギナルド軍の抵抗は4年間も続き、40万人もが殺された。
その間、日本はアジア同胞の苦境に同情し、日清戦争で鹵獲した銃火器をこっそり送り出したり、山田美妙の『あぎなるど』がベストセラーになったりした。
それで6人の志士が潜入し、米軍に捕まってもいる。
抵抗派の大物リカルテは日本に亡命し、先の戦争で日本軍がマッカーサーを叩き出した後に、故国に凱旋している。
義に篤い日本が、フィリピンを残忍な米国に喜んで委ねるわけもない。
一方の朝鮮は、すぐ隣にいながら、性格は日本人とは真反対。
まず義を知らない。
奸計に長け、自国の戦争すら他国に押し付ける。
白村江もしかり。
南北で始めた朝鮮戦争も、いつの間にか米支の戦争にした。
そういう狡さ以上に日本人が嫌ったのが、不潔さだ。
イサベラ・バードは糞便塗れの京城を歩いて世界一不浄としたが、後に北京を見て第2位とした。
*この箇所で、私は1位と2位を取り違えていた事に気づいた。
バードは『朝鮮紀行』の中で、1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している。
また、人工の道や橋も少なく、「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。
道と言っても、獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」と記している。
以上、ウィキペディアから。*
汚穢度ですら世界一の座を支那に譲る。
華夷秩序への律義さだけが、この民族の取り柄に見える。
つまり、日本がフィリピンとの義を捨ててまで、そんな汚い国を欲しがるなど、ありえない話なのだ。
そう見れば、セオドア・ルーズベルトが「白人には白人の重荷があるように、日本にも黄色い重荷がある」と、朝鮮を押し付けてきた説の方がずっと説得力がある。
厄介な国を押し付けられれば、日本の大いなる負担になる。
「日本の脅威」を削げるという読みだ。
日本は、そんなお荷物はいらない。
だから伊藤博文は、元駐日米代理公使D・スティーブンスの協力で、朝鮮に鉄道や港湾、教育制度などのインフラを与え、距離を取った保護国にしようとした。
セオドアは、そんな勝手を許さない。
だから彼は、伊藤もスティーブンスも暗殺して、一気に日韓併合までもっていかせた。
その途端、朝鮮をペスト禍が見舞う。
日本は改めて、朝鮮の汚さを思い知った。
幸い、北里柴三郎が菌の正体を突き止めていたから、すぐに終息させられた。
と思ったら、次は腸チフスが流行り、終わったら今度はコレラが襲った。
さすが世界2位の汚穢国家だ。
で、総督府は日本の内務省に倣って、防疫を警備局所管とした。
その強制力で流行地への交通を遮断し、罹患者を隔離し、集会を禁止したと総督府の記録にある。
衛生観念も教え、各戸に便所を作らせた。
活動写真で病気の怖さを教え、各村落に「防疫自衛団」を置き、「自分たちで防疫」意識を高めさせた。
総督府は仁川の海港防疫を重視し、支那の船は沖泊めし、乗員の検便検査をしたうえで入港を認めた。
ただ、乗船者の中の「支那人下層労働者」は、一切入国禁止とした。
日帝支配10年目のコレラ禍も、支那から入ってきた。
経路は、取り締まりが難しい地方の港に入る漁船だった。
総督府は防疫自衛団に戸口調査をさせ、患者を見つけ隔離した。
火葬を厭って患者を隠す家もある。
それには、報奨金つき密告制を採った。
おかげで、最初の流行は僅か2ヵ月で終息させた。
こうした衛生観念は日帝支配後も生き残り、1970年代の外務省資料では、韓国民の回虫を持つ割合が50%を切ったとある。
その韓国で、武漢コロナが猛威を振るう。
日帝が徹底して教え込んだ「支那人入国禁止」を、文在寅がどうしても受け入れなかったためとか。
華夷に秩序があれば、肺炎に死すとも可なり、か。