ショスタコーヴィチ交響曲第11番《1905年》――仙台二高の世界史の授業から、ロシア革命前夜の音楽へ
大阪フィル定期演奏会で演奏されるショスタコーヴィチ交響曲第11番《1905年》を、仙台二高時代の世界史の授業の記憶とともに語る。トルストイ、ロシアのインテリゲンチャ、血の日曜日事件、国家権力と民衆の悲劇、そして最後に鳴り響く警鐘を描いた巨大な歴史の音楽である。
私は、この頃の、つまり革命前後のロシアの状況については、高校時代の世界史の授業を思い出さずにはいられない。
私が永遠に愛する母校、仙台二高には、殆ど全員の生徒たちから人気の高かった世界史の教諭がいた。
彼は仙台二高の先輩でもあった。
本人は京大に進学したかったのだが、家庭の事情で、母校の真上にある東北大学に進学し、やがて母校で世界史を教えることになった。
その授業は、単なる年号や事件の暗記ではなかった。
歴史の背後にいる人間、時代の空気、国家の怖さ、民衆の息遣いを、まるで目の前に見せるような授業だった。
彼が授業中に頻繁に口にしたジーナ・ロロブリジーダの名前は、当時の生徒たちの多くが今も記憶しているはずである。
私は今、確認のために彼女の名を初めて検索して、驚いた。
ジーナ・ロロブリジーダは、ただの往年の美人女優ではなかった。
戦後イタリア映画を代表する国際的大女優であり、「世界で最も美しい女性」とまで呼ばれ、しかも後年は写真家、彫刻家としても活動した人だった。
あの先生が授業中に何度もその名を口にしていたことの意味が、今になって分かる気がする。
彼にとって世界史とは、教科書の中の死んだ記述ではなかった。
ロシア革命も、イタリア映画も、ヨーロッパの空気も、同じ一つの世界の中で生きているものだったのである。
そして、その先生について、私には絶対に忘れることのできない記憶がある。
ロシア革命の単元に入った時、彼は教室でこう言った。
「ここは俺よりもキサラの方が詳しいから」
そして私は、二度、合計二時間も、彼の代わりに教壇に立たされたのである。
高校生だった私が、母校の教壇に立ち、同級生たちにロシア革命前夜のロシアを語った。
それは、私が中学生時分に既にトルストイの主な著作を読んでいただけではなく、『アンナ・カレーニナ』が人類最高の小説であると認識していた事を、彼が知っていたからである。
当時のロシアのインテリゲンチャの多くが、何故、自殺願望に憑りつかれたりしていたのか。
彼らの多くは大貴族の息子だった。
地平線の彼方まで続く彼らの広大な領地は、農奴の存在に依って維持されていた。
私は、彼が、私がその事を彼よりも深く認識していると感じてくれていたのだと思う。
今から考えても、信じがたい出来事である。
しかし、それを許し、それを任せた先生がいた。
彼は、私の中に何かを見ていたのだと思う。
或る日、廊下ですれ違った私を、彼は呼び止めた。
彼は、私が京大に進学することに決めていたことを知っていた。
そして彼は、私にこう言った。
「君は、京大に残って、京大を君の両肩で背負って立たなければならない」
私は今、これを書きながら号泣している。
何という人生だったことか。
明日の大フィル定期演奏会で、ショスタコーヴィチの交響曲第11番《1905年》を聴くにあたって、私はまず、その世界史の授業を思い出す。
そして、あの先生の声を思い出す。
1905年のロシア。
血の日曜日事件。
帝政ロシア。
民衆の請願。
そして、国家権力による銃撃。
これらは単なる歴史用語ではない。
ショスタコーヴィチは、それを音楽にしたのである。
以下、この曲について、私なりに読者の皆さんへ説明しておきたい。
ショスタコーヴィチの交響曲第11番《1905年》は、単なる歴史音楽ではない。
これは、ロシア革命前夜の血の記憶を、巨大な音の壁画として描いた交響曲である。
副題の《1905年》とは、1905年1月、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクで起きた「血の日曜日事件」を指している。
労働者や市民たちが、皇帝に生活改善を求めて冬宮へ向かった。
しかし彼らを待っていたのは、請願を聞く耳ではなく、銃弾だった。
この事件は、1917年のロシア革命へとつながっていく大きな導火線となった。
ショスタコーヴィチは、この出来事を、四つの楽章で描いている。
第1楽章は「宮殿前広場」。
凍てつくような静けさの中に、人々の不安と沈黙が広がっている。
音楽は、まだ爆発しない。
だが、静けさの奥には、すでに歴史の恐ろしい圧力が満ちている。
第2楽章は「1月9日」。
ここで音楽は一気に動き出す。
民衆の行進、叫び、混乱、そして虐殺。
ショスタコーヴィチの音楽は、ただ事件を説明するのではなく、聴く者をその場に立たせる。
遠くから眺める歴史ではなく、目の前で人が倒れていく歴史である。
第3楽章は「永遠の記憶」。
ここでは、倒れた人々への哀悼が歌われる。
ショスタコーヴィチの本質は、こういう楽章にあると私は思う。
彼は大声で泣かない。
しかし、沈黙の中にこそ、最も深い悲しみを置く。
この音楽は、死者のための葬送であると同時に、生き残った者の記憶そのものでもある。
第4楽章は「警鐘」。
ここでは、怒りと告発が再び燃え上がる。
虐殺は終わったのではない。
記憶は消えない。
そして最後に鳴り響く鐘の音は、勝利の鐘というよりも、人類の歴史に対する警告の鐘である。
ショスタコーヴィチは、1957年にこの交響曲を書いた。
表向きには、ロシア革命の前史を讃えるソ連的な作品として成立している。
しかし、ショスタコーヴィチの音楽は、そんな単純な政治宣伝の枠には収まらない。
この曲を聴いていると、国家権力が民衆を踏みにじる時、そこに生まれる恐怖、怒り、沈黙、記憶が、時代を超えて迫ってくる。
だからこそ、この曲はロシアの1905年だけを描いた音楽ではない。
20世紀全体の悲劇を描いた音楽であり、さらに言えば、今の世界にもそのまま通じる音楽である。
ショスタコーヴィチの交響曲第11番は、旋律が分かりやすく、構成も劇的で、彼の交響曲の中でも非常に聴きやすい部類に入る。
しかし、聴きやすいから軽いのではない。
むしろ、分かりやすいからこそ恐ろしい。
行進する民衆、銃撃、死者への哀悼、そして鳴り止まない警鐘。
これらが、ほとんど映画のような明瞭さで聴く者に迫ってくる。
明日の大フィル定期演奏会で、この曲が最後に置かれている意味は大きい。
演奏会の締めくくりに相応しい、巨大な歴史の音楽である。
美しい音楽を聴くというより、歴史の現場に立ち会う。
その覚悟で聴くべき曲だと思う。
そして最後の鐘が鳴った時、私たちは単に拍手をするだけでは済まない。
人間は何を記憶し、何を忘れてはならないのか。
その問いを突きつけられるのである。
そして同時に、それは、私が高校時代に受けた、あの世界史の授業の記憶とも、どこかで深くつながっているのである。