1966年、東京・四谷に流れた黄金の時間――山下洋輔が回想する渡辺貞夫とデューク・エリントン

2011年6月10日
私の履歴書 山下 洋輔…日本経済新聞 6月10日(金)より
翌年、1966年に貞夫さんから声がかかりバンドに参加できることになる。24歳で大学5年生(!)の時だった。
在学中の学生が渡辺貞夫と演奏をするとなったら今のぼくの立場でもびっくりするが、実は今、国立音大でまたそれが起きている。
ビッグバンドのニュータイド・ジャズ・オーケストラが一昨年の夏に「ヤマノ・ビッグ・バンド・ジャズ・コンテスト」で優勝して、ご褒美に貞夫さんと共演ができた。
その後味が良かったのか昨年末のプロジュクトにも呼ばれた。そのうちにピアノの兼松衆とドラムの小田桐和寛が抜てきされてカルテットでラジオ番組の収録に参加した。
一方で貞夫さんは、今年から招聘教授として月に1度国立音大で授業をしてくれている。
このようなことになるとは予想もできない45年前、ぼくはどきどきして新宿「ピットイン」に出かけた。
ドラムスの富樫雅彦、ベースの原田政長という名人2人がそろっていた。
貞夫さんはファースト・セットでバリバリのビバップを、セカンド・セットではフルートも使ってボサノヴァを演奏するというプランだった。
日本でボサノヴァが本格的に演奏されたのはこれが初めてではないかと思う。
毎週末、会場は超満員になった。
このグループでは「ジャズギャラリー8」でもやり、ある時は四谷にあった「サテン・ドール」という店にも出た。
この時は、演奏旅行で来日していたベースのリチャード・デイヴィスが貞夫さんに会いに来て弾いて行った。
この「サテン・ドール」では忘れられない思い出がある。
ある日、東京公演に来ていたデューク・エリントン一行が仕事のあとやって来た。
待機していた富樫、原田、山下が、何とその目の前で「サテン・ドール」を演奏したのだ。
弾き終るやいなや、山下はトイレに逃げ込んでそのまま出てこなかった。
恥ずかしいという以上に非常に無礼な行為だったと今は反省している。
下手でもなんでもちゃんと挨拶をすべきだった。
向こうは何かを言ってくれるはずで、それをきっかけに会話を続け、連絡先を交換して「アメリカに行ったら連絡させてください」、と言っても怒られはしないだろう。
こうして「東京で目の前でサテン・ドールを弾いて、エリントンを感心させた日本の若者」という伝説を作ることができたかもしれないのだ。
それがただトイレに閉じこもるだけとは。
本当に若く未経験というのは仕方の無いものだ。
今のぼくがそこにいたら、このヤマシタをトイレから引きずり出してエリントン様にご挨拶させるのだが。
やがて、原田さんがピアノの鍵盤を丁寧に拭いてから、にこにことエリントンを誘う動作をした。
するとエリントンが上機嫌でピアノの前に座って、何も言わずに「テイク・ジ・Aトレイン」を弾きはじめた。
それも3拍子でだ。

富樫、原田の力量が分かって何をやってもついて来ると判断したにちがいない。
サビから4拍子になったが、2人は今まで何度もやっていたようにさっとついて行く。
素晴らしい演奏が終わると、すぐに今度は「キャラバン」が始まった。
何という豪華な出来事だったのだろうか。

1966年の東京四谷の狭いライブハウスにはその夜黄金の時間か流れていたのだ。
(ジャズピアニスト)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください