『太平洋戦争史』の訳者と朝日新聞社説――ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの継承

2017-6-17
以下は前章の続きである。
題字以外の文中強調は私。
『太平洋戦争史』の訳者
この人はウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムのいちばんまとまった出版物である『太平洋戦争史』に、どのような訳者の言葉をつけているか。
(今次戰争が日本にとって全く無意味な戰争であったことは、既にわれわれが充分了解してゐることである。
しかし、この無意味なりし戰争が何故に起つたか、そして又日本軍閥がわれわれの自由を如何に横暴に奪ひ去り、善一意なる國民を僞瞞して来たか、についてこ れを明確にすることは、その渦中に卷込まれてゐた日本人の立場を以てしては今のところ極めて困難である。
この聯合軍縮司令部の論述した太平洋戦争史は、日本國民と日本軍閥の間に立って冷靜な立場から第三者としてこの問題に明快な解決を與へてゐる。
終戦後極めて短日月の間に起草され又われわれとしては更に詳細なる論述を希望するものであるが、一讀してわれわれが知らんとして知り得なかった諸事實が次々に白日の下に曝され、その公正なる資料と共に戦後われわれが眼にふれたこの種文献中の最高峰たる地位を占めるものであることは疑ひない。
この一文によって始めて、われわれは今次戦争の責任乃至原因が太平洋戦争のみに在るのではなくして、遠く満洲亊變に溯るものであることを訓へられ、又太平洋戰争が如何に日本にとって無理な戰争であったかを知ることが出来た。
(後略、下線渡部)》
この中屋氏は「今次戰争が日本にとって全く無意味な戰争」などと縷々述べ、この『太平洋戦争史』を「公正なる資料と共に戰後われわれが眼にふれたこの種文献中の最高峰たる地位」と絶賛しています。
こういう人が東大教授になり、その教え子から朝日新聞の記者や高級官僚や、または他の大学の教授が生まれたということを私たちは知っておかなければなりません。
中屋健弌と朝日の社説
さて、この中屋氏の文章は昭和二十一年一月に書かれたものですが、まさにこれがそっくりそのまま平成二十年十一月二日の朝日新聞社説「空幕長更迭 ぞっとする自衛官の暴走」に受け継がれていることが一目瞭然です。
《こんなゆがんだ考えの持ち主が、こともあろうに自衛隊組織のトップにいたとは。
驚き、あきれ、そして心胆が寒くなるような事件である。
田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が日本の植民地支配や侵略行為を正当化し、旧軍を美化する趣旨の論文を書き、民間企業の懸 賞に応募していた。
(後略)》
この感嘆文で始まる社説は、「ゆがんだ考えの持ち主」と田母神氏のことを形容していますが、これはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムから見ればそうなのでしょう。
この社説を書いた人は、おそらく直接、間接に中屋氏の意見、ひいてはアメリカ占領軍のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに侵された人であることは間違いありません。
もっとはっきり言えば朝日新聞の社説を書いている人は、今もなおアメリカの当時のCIEの指令を忠実に守って、日本人の洗脳を続けているのだと言えましょう。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、つまり日本人洗脳政策がいかに深く日本に浸透したかについては、江藤淳氏も前掲著の中で指摘しています。
《教科書論争も、昭和五十七年(一九八二)夏の中・韓両国に対する鈴木内閣の屈辱的な土下座外交も、(中略)本多勝一記者の“南京虐殺”に対する異常な熱中ぶりもそのすべてが、昭和二十年(一九四五)十二月八日を期して各紙に連載を命じられた、『太平洋戦争史』と題するCI&E製の宣伝文書に端を発する空騒ぎだと、いわざるを得ない》
なぜ、田母神問題で政府があれだけ慌てふためいたか。
それはほとんど謎と言っていいほどの慌てふためきでした。
自衛隊が決起しようとしている、というならば慌てふためいても当然ですが、空幕長が本職とは関係ない歴史観についてのエッセイを民間の懸賞論文に発表しただけです。
政府が慌てたのは、田母神氏の『日本は侵略国家だったのか』という問題を取り上げると、「村山談話」が出てこざるを得ないからだと私は思います。
「村山談話」は、自民党が立党精神を捨てて、自民党を止めたことの象徴だからです。
すなわち、自民党が社会党になると宣言したに等しいことが、田母神論文について論じていれば必ず表に出てくるからです。
そして「村山談話」に象徴される社会党の見解は、まさにウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを受けた内容そのものなのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください