『東條英機宣誓供述書』と国家自衛戦――ハル・ノート、石油資源、マッカーサー証言

2017-6-17
石油資源確保の重要性
繰り返すが、この『東條英機宣誓供述書』は、近現代史の超一級の史料のひとつとして見直されるべきである。
もしヒットラーがこのような史料を残したら、誰もがそう扱うに違いない。
それに匹敵するくらいの価値があると言っていい。
しかしながら、残念なことに、ここに書かれている東條証言が引用された文献等をあまり見たことがない。
東條英機「悪人」説があまりにも蔓延って、参照するに足らずという空気があるのではないか。
だとしたら、それはとんでもない間違いである。
近現代史を著述する人たちが陥りやすいのは、日本がやってきたことを単に時系列的に並べて済ませてしまうことである。
その作業だけでは、日本は侵略国だったという単純な図柄しか見えてこない。
この「供述書」を読んでも解るように、東條や日本政府がその都度選択した政策は、米英蘭等の相手国の出方があっての反応であり、そこには因果関係がある。
日本は闇雲に戦争に走ったのではない。
その流れを把握しなければ偏頗に陥ってしまう。
幸いにして、この「供述書」は、「いかにして日本が自衛の戦争をしなければならなくなったか」の経緯を詳らかにしている。
ハル・ノートを公開したら
しかし十一月二十六日、ハル・ノートがアメリカより提出される。
東條内閣は、ハル・ノートをアメリカ側の最終通告だったと認識していた。
ここで私が残念だったと思うのは、なぜハル・ノートを世界に向けて公表しなかったのか。
ここでは日本の言い分はすべて蹴られていた。
もし公表していたら、世界中が同情したに違いなかったと思う。
そうしなかったのは、東條内閣の最大の失敗の一つだろう。
ただ詮方なきは、ハル・ノートは乙案を飛び越して、ハルがその内容に関わっていなかったことであろう。
ハル・ノートというのは、ハリー・ホワイト米財務次官補が作成した。
彼は戦後、ソ連のスパイだったことが明らかになっている。
ソ連指導部は日本の軍事的脅威を除くため、アメリカを早急に対日参戦に促す「スノウ作戦」をすすめていたという(一九九九年十一月二十二日付産経新聞朝刊)。
ハル・ノートを見て、日本は遂に戦争がはじまるといった重苦しい雰囲気に包まれた。
ここまでの「供述書」を読めば、相手の出方によって、東條が思慮に思慮を重ねながら一歩一歩国策を選択し決定していった経緯が解るだろう。
そして、彼は開戦の決定の責任が「絶対的に」天皇にないことを明言している。
そして天皇が東京裁判にかからないことが東條の一番の願いでもあった。
天皇に戦争の意思がなかったことは、開戦の詔勅に「豈朕が志ナラムヤ」と入れたことでも明らかだった。
この修正文言には周囲の反対があったとされる。
天皇は戦争をやる気がないのか、それでは士気が下がってしまうと。
しかし、これは天皇の「聖旨」の体現だった。
と同時に「皇道ノ大義ヲ中外二宣揚センコトヲ期ス」という文言を「帝国ノ光栄ヲ保全センコトヲ期ス」と修正した。
これは日本国の面子を棄ててはいけない、膝を屈して無条件降伏はできないという意思のあらわれでもあった。
この「供述書」の最後で、東條はあの戦争が国家自衛戦だったことを縷々述べている。
これが奇しくもマッカーサー元帥が、米上院軍事外交合同委員会(一九五一年五月三日~五日)で発言した証言とまったく論旨が同じなのである。
マッカーサーは、「日本には固有の原材料がない。石油も産出しないし、錫・ゴムといった多くの原料がない。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万人以上の失業者が発生する。だから、彼らが戦争に突入した主たる動機は、自衛のためだった」と言っているのである。
この証言内容は、もっと日本人の知識として広まるべきであるということを、ここに言っておきたい。
そして「供述書」の締めくくりとして、東條は、日本帝国の戦争は侵略でも搾取でもないと言い、自分は日本があの戦争に負けた責任こそ負うべきであっても、東京裁判で問われている「共同謀議」「平和に対する罪」といった「戦争犯罪」を犯してはいないと喝破している。
その毅然として論理的な東條の姿にたいして、イギリス外交官の良き伝統の資質―それは一流の学者にして著述家であることだがーを、日本人として持っておられる岡崎久彦氏は、戦争の勝ち負けは別として、対外的には日露戦争勝利時の首相だった桂太郎よりは、東條英機のほうが立派だったのではないか、と指摘されている。
蓋し名言であろう。
(『歴史通』二〇〇五年九月号初出)

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