「日本」になれなかった――植民地支配、ビルマ蜂起、そして独立を阻んだ帝国の論理

ビルマをはじめとする植民地の人々は、日露戦争に触発され「アジア人でも白人に勝てる」と信じて蜂起した。
しかし現実は苛烈で、宗主国が資源を奪い尽くす構造の中、独立は容易に許されなかった。
本稿は、サヤサン蜂起、ウ・ソー、そして英国植民地支配の実相を通して、「日本」になれなかったアジア諸国の悲劇を描く。

2019-07-01
「もしこうした植民地に独立の機会があるとすれば、それは一滴の石油も一粒のコメも取れなくなったとき」と英史家ルイス・アレンが評した言葉がある。

「日本」になれなかった
英国はこの国の支配に大量のインド人を入れて金融業を、また華僑に経済、徴税を担当させた。
モン族、カレン族、さらにチン族など山岳民族を山から降ろしてキリスト教に改宗させたうえで軍、警察を担当させた。
この国の主のビルマ人はやがて農地も奪われ最下層の小作人に落とされた。
そんなときサヤサンが登場した。
彼はビルマの伝説の王を名乗り、農民を従えて植民地政府に抵抗した。
モン族の軍隊が鎮圧に乗り出したが、農民たちはお尻に白い丸を描き、後ろ向きに進んでくる。
それを描けば弾に当たらないと信じられていた。
騒動は全土に広がり、英国はシーク教徒のパンジャブ・ライフル部隊を出動させ、一年後にやっと鎮圧した。
サヤサンは捕まって処刑された。
なぜこの時期に植民地の人々が蜂起したのか。
越南光復会が象徴するように植民地の人々は日露戦争を知って「アジア人でも白人に勝てる」という思いを抱き、ナショナリズムを鼓吹し、それがこの時期、エネルギーとなって放出されたという見方がある。
しかし結果は惨敗だった。
どの国も「日本」にはなれなかった。
「もしこうした植民地に独立の機会があるとすれば、それは一滴の石油も一粒のコメも取れなくなったとき」と英史家ルイス・アレンが評した言葉がある。
彼はまた「まずあり得ないが」と断って「宗主国が裸足で逃げ出すような大異変が起きたとき」を挙げていた。
サヤサン裁判で弁護人を務めたウ・ソーはその「もう一つの可能性」を信ずるほど空想家ではなかった。
彼は政界に転向し、余り褒められない手法で政敵を潰していってとうとう植民地政府首相に就任した。
彼は一九四一年(昭和十六年)十一月、ロンドンを訪ねている。
多くのビルマ兵を英国のために戦場に送り出す。
だから戦後、独立を与えてほしいというものだった。
その思いを英国に滞在中、『タイムズ』に寄稿している。
「ビルマが知りたいのは、我々は世界の自由のために多くの国々とともに戦っているが、それはビルマの自由のためでもあるのかということだ」。
ウ・ソーは英植民地相エイメリーに会い、さらに首相のチャーチルにも会った。
この稿続く。

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