村山騒動が朝日新聞を変えた――広岡体制と左翼路線固定化の社内史

2019年7月14日発信。
元朝日新聞社員による対談をもとに、戦後の朝日新聞社内で左翼勢力が復権し、九六スト、村山親政、村山騒動、広岡体制を経て、紙面と人事が左傾化していく過程を記録する。

2019-07-14
戦後の企業に共通した悩みとして、能力の高い人ほど多く戦争で失っているわけですね。
だから、現場に戻された左翼でも、現場を握る強さで、どんどん出世の階段を上っていくわけですよ。
以下は前章の続きである。
転機となった村山騒動。
本郷 というより「信夫・永井」の時代。
だから終戦直後、いったん左翼が乗っ取ったけど、それはひっくり返された。
その連中は元の現場に戻ったわけです。
でもね、戦後の企業に共通した悩みとして、能力の高い人ほど多く戦争で失っているわけですね。
だから、現場に戻された左翼でも、現場を握る強さで、どんどん出世の階段を上っていくわけですよ。
石川 それが広岡さんであり、森さんであり、渡邉誠毅さんだということですね。
本郷 森さんも渡邉氏も、それで現場から上がっていった。
それに本社の編集局といっても、当時は非常に人も少なかった。
そして、昭和34年の暮れ、96時間のストライキ「九六スト」がある。
「60年安保」の前年ですからね。
この前後から、社内で再び左翼が跳梁跋扈し始めるわけです。
現実に、30年代の初めから、紙面がひどく左傾化していった。
とくにひどかった盛岡支局などは、社内でも「朝日新聞の赤旗県版」と呼ばれるぐらいの左傾県版を作っていました。
のちの北朝鮮報道で有名な岩垂弘記者たちがいたころです。
稲垣 社会党の岩垂寿喜男元衆議院議員の弟かな。
本郷 「長野の秀才兄弟」なんて言われていたが、彼の報道は、北朝鮮べったりだった。
ところが「九六スト」の直後に、専務の信夫さんがスパっと辞めるわけです。
自分で役員定年制を決めた手前もあったが、左を抑え切れなかった責任を取ったようなものだった。
そして、「自分でやってみたい」と意欲を燃やした村山長挙社長が親政を始め、まず左翼征伐をやろうとした。
そのとき東京編集局長に起用したのが、編集局次長だった木村照彦氏でした。
九六スト、それからそのすぐ後の「60年安保」のときに、広岡氏はヒラ取締役で東京編集局長だった。
村山社長は、その広岡氏を快く思わず、紙面の左傾を問うて九州に飛ばした。
当時は西部本社担当と言ったが、この人事について、森氏は『私の朝日新聞社史』という回想録の中で、「広岡氏が西部に追われて、社に暗黒時代がやってきた」と書いている。
暗黒時代とは村山親政を指し、それに付き随った木村氏についても悪口を書いている。
木村氏は、かねてから右翼系政治結社黒龍会と関係があり、思想的にはむしろ中道右派だった。
ところが、村山親政で致命的な失政が起こってしまった。
村山社主家に、公私の別をわきまえぬ行為が重なったのです。
そうして、昭和38年から、お家騒動が始まる。
すったもんだのあげく、九州に流されていた広岡氏が、39年1月20日の取締役会で村山社長解任の動議を出し、それが通ってしまう。
彼はヒラ取締役から一足飛びに専務になり、その翌日、大阪経済部時代からの刎頸の友、森氏を論説主幹に据えるわけです。
ここからずっと左翼路線が固まっていく。
稲垣 この「村山騒動」が、一つの転機になったんだ。
確かにそれまでの朝日新聞は、左旋回してはいたけれども、それは社会全体が左がかってたから、その反映でもあった。
そのころの朝日の社内は、言論はかなり自由だった。
実際、社内にはいろんな人間がいたのです。
森氏のような左翼的な連中がまだ人事権まで握っていなかったから、採用で、いろんな人間を入れていた。
だから、当然意見も違うし、お互いに論争する場面もあった。
ところが、村山騒動後、いわゆる広岡体制になると一変するのです。
というのも広岡氏の権力基盤は極めて脆弱だった。
支配株は50%に満たない。
それで組合員の持ってる株券を一所懸命かき集めたりした。
本郷 株式受託委員会ですね。
これは、実は法的な資格を持っていなかったのです。
法人格もなく、株だけかき集めるという体裁上の組織でしてね。
しばしば職権まで使って株を広岡政権に集め゛翼賛体制″を作った。
ところが、出世願望の上役が、中間管理職に「おまえの部下に、まだ株を信託しないやつがいる。
早く信託させろ」などと言ってくる。
私などが、「冗談じゃない、なんで私有権を侵害できるのか。
株集めなどは、職制を使ってやることじゃないでしょう」と言うと、「おまえ、そんなこと言ってたら将来ないぞ」なんて言われた。
そういう時代がずっと続いた。
広岡氏が政権を取る以前は、社内に、非上場ながら朝日株の取引市場があり、「ある方がお辞めになるので、300株出ますよ」といった掲示が出てね。
みんなが入札で買ったんですよ。
ところがそれを、広岡氏らが全部潰して、職権を使って集めてこいとなった。
はなはだしいのは、通夜の晩に担当者が行って「亡くなったご主人、1000株持っていたはずだけど、すいませんが社のほうに」と言って集めたりした。
稲垣 組合のボスを通じても集めたんだよ。
そこで組合との腐れ縁ができたわけだ。
本郷 そのとおりです。
稲垣 つまり、そういうことで、広岡体制になってから、人事も連中が完全に握ったもんだから、左がかったやつばかり入れるようになった。
つまり、明々白々の共産党員であると、親父もそうだし、共産党一家みたいなやつの子弟を入れたり、NHKの番組改変問題で話題となった本田氏のような記者も入れているわけですよ。
石川 ああ、本田雅和さん。
稲垣 ああいう記者を平然と入れているわけです。
だから、事件が絶えないわけです。
この稿続く。

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