広岡体制で失われた朝日新聞の自由――整理部の奪権と言論一元統制

2019年7月14日発信。
元朝日新聞社員による対談をもとに、広岡体制以前の自由な社内空気、整理部が担っていたニュース価値判断、広岡体制後の整理部弱体化、上からの指示、そして言論一元統制の実態を記録する。

2019-07-14
広岡氏以前は非常にリベラルな雰囲気があった…左も右もいたしね。
それから、自由にものをけっこう言えた。
整理部の裁量を抑制し、職人集団に。
稲垣 さっき広岡氏以前は非常にリベラルな雰囲気があったと言ったでしょう。
左も右もいたしね。
それから、自由にものをけっこう言えた。
組合は組合でそれなりのことをやってたけど、縛るようなことはなかった。
本郷 私が入社した年の暮れに「九六スト」があった。
このとき、編集局のカナメである整理部が、経営側の期待に反してストに加わったものだから、紙面の出来ばえが無惨になった。
整理出身の専務だった信夫さんには、痛手だったはずです。
ところが、広岡さんが政権を取って、まずやったのが整理部の奪権です。
それまで朝日新聞の大幹部になる人は、みんな整理の経験があった。
緒方さんも美土路一さんも、信夫さんも長いこと整理をやっていたし、木村さんもそうだった。
朝日の中では、整理をやらないと幹部になれないという不文律があったくらいでね。
なぜかというと、整理部門は編集局にありながら、号外をいつ出すとか、特別版をどう作るとか、こんな広告は載せられないとか、要するに社業全体を見渡していないとできない。
その上、読者のニーズを理解しながら、これが今日の一面トップだとか、これは10行に削っちゃえというふうな仕事をやるのが整理部なんです。
だから、整理を経験した人は、社業全般に通じることになる。
ところが、広岡さんには整理の経験がない。
森さんも渡邉さんにもない。
広岡知男さん以後の社長にも、整理経験者はほとんどいない。
逆に、整理部を煙たがって弱体化した。
稲垣 私は整理に入ったときに「おまえらは、まずまっさきにニュース価値の客観的判断をする義務があるんだよ」と言われた。
これはトップに値するのかどうか。
あるいは3段にするかという判断をまずおまえらが判断せよと言われて、それで張りきったことがある。
そうした気概や矜恃は今なくなってしまっている。
本郷 変わって、上から指示がくるようになった。
稲垣 そう、上から指示がくる。
とくに広岡氏、秋岡家栄北京特派員の時代はひどくてね。
秋岡氏の中国べったりのくだらない原稿をトップにしろとか、そういう指示が判断なしで罷り通るようになった。
だから、見映えよく見えればいいという、整理職人になっちゃった。
石川 権限を失っちゃったんですね。
稲垣 私なんか生意気だったからね、大阪の整理部時代、森氏の感想文みたいなくだらない原稿を削って怒られたことがある(笑)。
本郷 それが東京だと、とんでもない事件に膨れてしまうんだよね。
森氏が主幹になってからは、論説の原稿は事実の間違いがあっても、誤字や脱字があっても、整理部は手を入れられなくなった。
整理部を職人集団にしていった。
これは非常に大きな変化だな。
言論の一元統制。
左翼の常套手段だ。
たとえば、広岡氏が政権を取ったあとの昭和41年だったかな。
蒋介石の写真を使っちゃいけない、というお触れが出た。
稲垣 ああ、そういうことあったねえ。
本郷 理由の説明もなく、蒋介石の顔写真はダメとなった。
整理部には、連絡事項を記した引継帳があり、毎日の業務の前に、必ずそれを見た上で仕事に入るのですが、そのお触れを呼んで、おいおい、馬鹿なこと言うなと思った。
蒋介石は「徳をもって怨みに報いる」と言って、日本の兵隊を無事に返してくれた恩人じゃないか。
まさか死んだときも顔写真を扱わないのかと、私が社内で大きな声を出したら「おい、おまえ、ダメダメダメ」とデスクに制止された。
稲垣 大阪の整理で経験したのは、文革時代に、毛沢東のマンガを載せちゃいかんと言われたことだったなあ。
私も頭に来た。
でっかい声で怒鳴ったら、みんな、顔を上向けている。
ヒラメだってわれわれは言ったんだ。
上ばっかり見てるやつがえらくなっていくんだ。
段々、デスクにはなっても、何段に扱っていいかわからないような整理記者が偉くなる。
そういう滑稽な時代が到来したわけですよ。

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