太郎は逃げた――津川雅彦が娘に伝えた「日本人らしく死ね」という覚悟
2019年8月7日発信。
週刊新潮に「太郎は逃げた」と題して掲載された高山正之の名物コラム「変見自在」を紹介する。
津川雅彦氏との交流、朝丘雪路氏との合同お別れ会、娘・加藤真由子氏の誘拐事件と別れの言葉、東日本大震災と福島第一原発事故の際に津川氏が娘に伝えた「日本人らしく死ね」という言葉を取り上げる。
さらに、事故時に逃げたGE社員や山本太郎氏に触れ、国難に際して逃げる者と、逃げずに踏みとどまる日本人の精神を対比する。
2019-08-07
以下は本日発売された週刊新潮に「太郎は逃げた」と題して掲載された、この週刊誌の掉尾を飾る高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
以下は本日発売された週刊新潮に「太郎は逃げた」と題して掲載された、この週刊誌の掉尾を飾る高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
津川雅彦氏から電話があった。
産経新聞でコラムを書いていたころの話で、面識はなかった。
俳優にならないかという誘いかと思ったら全く違った。
中東の話だったか、教えてほしいという。
場所は神楽坂。
小粋な店でひとときを持ったが、驚いたことに氏は酒を一滴もやらない。
下戸だった。
それで酒席を用意する。
心配りに頭が下がる思いだった。
億劫を知らない人でもあった。
屋久島の杉の木立が体によかったと別の席で話したら翌週にはもう屋久島を訪ねていた。
こちらが辿りつけなかった縄文杉にも触った、不調も治ったと報告があった。
そんな付き合いがあって最後の最後に、先立った夫人朝丘雪路との合同お別れ会の知らせがあった。
昨年11月のことだった。
会場には見たことのある男優や女優がそれこそ綺羅星のように居並んでいた。
水谷豊と反町隆史の「相棒」が最前列にいて隣に岩下志麻がいて、少し後ろに上川隆也がいた。
安倍晋三が挨拶した。
映画人は左でなくっちゃという風潮を嗤う故人との付き合いを語った。
それぞれが参会者をさざめかせる別れの言葉を語ったが、そのどれもが一人娘で喪主の加藤真由子の言葉には敵わなかった。
彼女は生後5か月のとき誘拐された。
当時、社会部の遊軍にいたから事件のことはよく覚えている。
犯人は千葉の男で第一勧銀の彼の口座に「身代金500万円を振り込め」と要求してきた。
当時、口座は偽名でも開設できた。
おまけに端末を特定するオンライン化はされていなかった。
犯人は好きに身代金を引き出せた。
しかし第一勧銀のシステム・エンジニアは日本人だった。
端末を親コンピュータに繋ぐ作業を徹夜でやってのけ、翌日の開店時間に問に合わせた。
犯人がどこで引き出そうが即座に場所を特定できた。
そして翌日正午、東京駅でカネを引き出そうとした犯人は捕まり、彼女は無事保護された。
あのときの赤ちゃんが今マイクの前に立っている。
彼女はまず母の思い出を語った。
二人で三越の屋上に行ったとき、母は自販機に向かって「朝丘です」と言った。
「ジュースを2本ください」と。
おカネを入れた方がと6歳の娘が忠告しても「大丈夫よ」「朝丘です」を繰り返した。
「最期まで天然のままの可愛い母でした」
この話はテレビでも流されたが、続いて語った父、雅彦の話はなぜかどこも流さなかった。
あの3・11の混乱の中で東電福島の原発1号機の爆発が報じられた。
東京に死の灰が降ってくる風のデマが飛び交う中で父から電話があった。
誘拐事件もあった。
ずっと大事にされ、甘やかされてきた。
だからそんな危ない状況を心配してのことかと思ったら大違いだった。
「みんな東京から逃げている。
しかしお前は日本人だ。
逃げようなんて思うな。
そこにいて日本人らしく死ね」
未曾有の惨事だ。
それでも東電職員も消防署員も命を張って惨事の拡大を食い止めようとしている。
どんな天変地異にも日本人は逃げなかった。
みんなで助け合い、支え合って生きてきた。
そういう日本人らしく「振る舞え」と父は言った。
あの時、いの一番に現場から逃げたのは当の欠陥原子炉を作った米GEの社員だった。
一目散に大阪に向かい、飛行機に飛び乗って米国にまで逃げ帰った。
日本人でも逃げた者がいた。
山本太郎だ。
彼も大阪に逃げた。
それでも足りずに「フィリピンに逃げる算段をしている」とツイートしている。
騒ぎが収まると売れない俳優は反原発を叫んで政界に乗り出してきた。
今は消費税ゼロのいい日本を実現すると公約する。
でも彼はその日本をかつてあっさり見捨て逃げていったではないか。
言い忘れたが津川雅彦氏は我先に逃げる者を一番嫌っていた。