津田大介を選んだ芸術監督選考委員会とは何か――あいちトリエンナーレと日本の芸術大学への疑問
2019年8月20日発信。ウィキペディアに記された津田大介氏の経歴と、あいちトリエンナーレ芸術監督選考委員会の構成を読み、選考に関わった人物、とりわけ京都市立芸術大学学長である建畠晢氏への疑問を呈し、芸術家を名乗る者が中国や朝鮮半島の代理人となることへの批判を展開する。
2019-08-20
選考は五十嵐太郎、加須屋明子、建畠晢、中井康之、藤川哲、水野みか子、港千尋の7人のメンバーによる芸術監督選考委員会における2回の議論による推薦であった。
以下はウィキペディアからである。
これを読んで呆れた人たちは多いはずである。
津田 大介(つだ だいすけ、1973年11月15日 – )は、早稲田大学文学学術院教授(任期付)、有限会社ネオローグ代表取締役、一般社団法人インターネットユーザー協会代表理事。
大阪経済大学情報社会学部客員教授、朝日新聞社論壇委員、新潟日報特別編集委員も兼任している。
関西大学総合情報学部特任教授、京都造形芸術大学芸術学部文芸表現学科客員教授、東京工業大学リベラルアーツセンター非常勤講師、ネットランナー編集部、上智大学文学部新聞学科非常勤講師等を歴任した。
東京都北区滝野川出身。
父親公男は社会主義協会派の活動家で、日本社会党(現:社民党)の副委員長高沢寅男の議員秘書も務めた。
しんぶん赤旗にて、中学生時代に「赤旗」を読んだことが「物書き」になるきっかけとなったと述べている。
東京都立北園高等学校時代は、制服や校則のない自由な校風だったため、途中から授業に出ずに友人と部室でゲームをしていたと語っている。
バンド活動など複数の部活に所属していて、そのなかで仲間と二人でやっていた新聞部が現在の原点だと述べている。
新聞発行ごとの新聞広告収入2~3万円と年間30万の学校からの予算は部員の飲み食い使ったと振り返っている。
授業に出ていなかったこともあり、現役時代の大学受験は全部落ちて浪人生になった。
1年間の予備校生活を経て早稲田大学社会科学部と明治大学政治経済学部に合格し、早稲田大学を選択した。
就職活動では出版社を志望するもすべて面接で落とされ、卒業後はパソコン系編集プロダクションのアルバイトとしてライター活動を開始する。
1999年に会社設立。
2019年には、2010年から3年ごとに開催されているあいちトリエンナーレの芸術監督に選出された。
選考は五十嵐太郎、加須屋明子、建畠晢、中井康之、藤川哲、水野みか子、港千尋の7人のメンバーによる芸術監督選考委員会における2回の議論による推薦であった。
しかし「表現の不自由展・その後」と題して、韓国人アーティストの作による慰安婦像に酷似した少女の像や、昭和天皇と思しき写真を燃やした「焼かれるべき絵」という題名のついた作品、特攻隊隊員らが寄せ書きした日の丸を使った「間抜けな日本人の墓」という題名の作品などを展示した事により物議を醸し、わずか3日間で企画展示コーナーそのものが撤去された。
上記中、この男を選考した人間達も、スイスのジュネーブに事務所を構えて日本を貶める活動で生計を立てている連中等同様に、日本人の大半が全く知らない人間達ばかりだな、と思いながら、クリックしていて、一人だけ、それはないだろう、と思った人間がいた。
建畠晢である。
何故なら彼は京都市立芸術大学の学長だからである。
私は、この大学を東京芸大に並ぶ日本最高の芸術大学であると評価して来た人間だからである。
錚々たる画家たちが卒業もし、関係もしている大学である事は言うまでもない。
その大学の学長が、こんな選考するようでは世も末だろう。
今の京都市立芸大が、こんな総長の影響を受けた大学であるならば、学生諸君は、全く楽な道ではない、芸術家を目指すなどは、早々に止めて、世の為、人の為に働き、日本を更に豊かに、強い国にする人間に進路を変更したほうが良い。
何故なら、左翼小児病患者達が、芸術家でございなどと称して、中国や朝鮮半島の代理人となるなどは言語道断であり、芸術に対する冒涜だからである。