歴史は科学ではなく信仰である――韓国が作り上げた仮想現実としての反日史観
2019年9月11日発信。
月刊誌WiLL9月号に掲載された松本厚治氏の論文を紹介し、戦後韓国が国家主導で作り上げた反日歴史観、歴史を科学ではなく信仰として扱う韓国史学の問題を論じる。
朴成壽らの歴史観、教科書問題、徴用工問題、慰安婦問題を通じて、客観性や史料的根拠を超えて形成された韓国の歴史認識を検証する。
2019-09-11
こんな話は丸ごと虚構に属するものですが、戦後の韓国では国が主導して仮想現実のような歴史をこしらえ、それをひたむきに国民に教え込んできました。
以下は月刊誌WiLL9月号に、韓国のウソに立ち向かえ、なぜ韓国は“反日”を続けるのか。
歴史の真実をつきつけ、韓国の虚構を暴け、と題して掲載された松本厚治氏の論文からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読の論文である。
この論文を読まなければ戦後の極東の歴史は全く分からないのである。
韓国のエージェントであり信じがたい程にお粗末な低能であるアレクシス・ダデンが米国の歴史学会を支配している。
国連も同様なのである。
国際社会が自分達の無知と低能を知って恥じるべき時はとうに来ているのである。
何よりも、底知れぬ悪とまことしやかな嘘の国である韓国が戦後74年間、中国は天安門事件から国民の目を逸らす為に江沢民が初めて、今も続けている。
反日教育と言う名のナチズムを国際社会が看過してきた事が、今の、極めて不安定で危険な世界を作って来たのである。
中国の増長、韓国の発狂(朝鮮半島の発狂)、プーチンの増長、これらは全て国際社会が中国と朝鮮半島が行地続けているナチズムを放置し続けて来た結果なのである。
以下は前章の続きである。
歴史は信仰
ふとあたりを見まわしてみると、自分たちが突然放り出された世界は、アメリカが君臨する世界でした。
日本は悪い国で、正義の国アメリカがそれを征伐したのだという世界観が出来上がっていました。
朝鮮はそれに適応する以外、道がなかった。
いい悪いではなく、ほかに選択の余地がない。
日本にあらかた同化し、日本国民として戦争に参加した人々が、日本を大声で糾弾しつつ、何食わぬ顔で被害者の席にもぐり込む。
そうするほかに、国を成り立たせる術がなかった。
あとは日本がどれほど悪い国で、日本人は極悪非道だったかを、とにかくいろいろな形で言い募り、われわれはいかに日本と激しく戦ったか、ということを自他に言い聞かせるだけです。
こんな話は丸ごと虚構に属するものですが、戦後の韓国では国が主導して仮想現実のような歴史をこしらえ、それをひたむきに国民に教え込んできました。
韓国人は、ベトナム人のように、戦ってフランス、アメリカといった大敵を追い払った、輝かしい民族史を持っていません。
だから、現実とかけ離れた異常な教育をするしかない。
事実は脇に置いて、まるで違う歴史に差し替えざるを得ないのです。
朴成壽(韓国精神文化研究院教授、国史編纂委員会編史室長)は、1980年代前半、日本の歴史教科書に対する是正要求のとりまとめ責任者になった人で、韓国の国としての立場を代弁してきた学者ですが、客観的な考証や実証では歴史の真実は把握できない、真の歴史とは、国民の愛国心を呼び起こすものでなければならないと繰り返し言っています。
「日帝は文献考証主義とともにランケの歴史政治学を受容、帝国主義的解釈の武器として利用した。
…日帝侵略の野蛮性と犯罪的性格を隠蔽するうえで、価値の中立性と歴史的客観性を前面に押し立てるランケ史学以上に便利な道具はなかった」(「民族抵抗史学の再評価」朴成壽)
「歴史は元来科学というよりは歴史を通じて反省し、理解する学問であると思います。
…歴史を科学化するのは難しいことです」「どの民族にも、その民族が長い間信じてきた歴史信仰というものがあります。
おそらくこの信仰は非科学的かも知れませんが、科学の次元で見るとちょうど縮地法が非科学的であるように、信仰も非科学的なのです」(『韓国史批判』朴成壽)
「真実な愛国心をもって歴史を叙述しなければならないのであり、愛国心を呼び起こすことのできる歴史だけが本当の意味での歴史なのである」
「歴史教育というものは、あくまで国民の士気を養うためにあるのです。
歴史教育は、若者の気を生かしてやらなければなりません。
勇気と士気の源泉になるようにしなければならない」(「民族抵抗史学の再評価」朴成壽)
価値の中立性と歴史的客観性によって日帝の野蛮と犯罪を暴くのではない、その逆です。
中立と客観、文献や考証では、それらは隠蔽されると言うのです。
この人は歴史は科学ではなく「信仰」だと言っています。
どの民族にも自身の歴史信仰があり、それらは互いに激しく対立し、どちらの信仰が勝つかという「歴史戦争」が絶えず繰り広げられていると考える。
たとえば、古代日本の半島進出を裏づける好太王碑文の解釈も、日韓に中国を加えた三国間で展開されている、現在進行形の歴史戦争だと述べています。
大方の日本人は、随分極端なことを言っているな、この人は少しおかしいんじゃないか、などと思うかもしれません。
しかし、彼は国家的事業として推進された『民族文化大百科事典』の編纂責任者でもあり、文教部(文部省)の国史教育審議会の委員(近現代史担当)を務めた、正真正銘の主流の学者です。
学者というより、反日教の司祭のような感じがしなくもないのですが、彼がこんな考えを持つに至ったのは、この国が必要とする歴史が実際の歴史とはかけ離れているからだと思います。
韓国には民族的宗教も、求心力になるような君主制もなく、自力で独立や解放を勝ち取ったという国民的記憶も、おぼろげなものでしかありません。
国民的統合のより所は、あげて「愛国心を呼び起こす歴史」に求めるしかない、ということになる。
韓国国家が、歴史認識に課している厖大な要求を満たすには、潤色といった程度のことでは到底間に合わない。
史料的根拠や客観性からまったく自由になった、信仰的歴史を追求するしかない。
それなりに考えた上で、こういうところまで突き進まざるを得なかったのでしょう。
日本人は知らぬが仏の状態ですが、かつて教科書紛争の前線に立って日本の歴史認識を糾弾してきた韓国の学者は、こうした歴史観の持ち主だったのです。
彼は1991年に設立された「日韓合同歴史教科書研究会」の韓国側委員を務めていますが、こんな人と合同で「研究」しなければならなかった日本の学者は、さぞ難儀だったことでしょう。
なおこの年に韓国で開かれた「日韓歴史教育セミナー」では、尹世哲(ソウル大学教授)が教科書問題を解決するには歴史の科学性に傾斜しすぎてはならず、事実にこだわる頑なな態度を捨てなければならないと述べていました。
一つの見識に違いないのですが、彼はこれを日本の歴史教科書について語っているわけです。
被害国韓国の立場を尊重し、日本が事実にこだわる頑なな態度を捨てて教科書を書き直せば、問題を解決できるー韓国を代表して日本人の前に現れる学者は、だいたいこんな考えの人たちです。
歴史に科学や客観は不要だと考える韓国人は、自分たちの「信仰」を貫いているのですから、「徴用工」問題にせよ、慰安婦問題にせよ、客観的な証拠を積み上げて反論してもいささかも動じることはありません。
そのことに日本国民も遅まきながら気づき始めたようですが。
この稿続く。