特殊な憲法学者とガラパゴス憲法学の再生産――憲法9条をめぐる罪深い曲解
2019年10月13日発信。
月刊誌WiLL掲載の篠田英朗氏の論考の続きとして、日本の憲法学界に見られる特殊なイデオロギー的傾向、東大法学部系人事の構造、憲法9条1項・2項をめぐる通説の問題を論じる。
不戦条約、国連憲章、国際法との関係から、9条を絶対平和主義や自衛権否認に結びつける憲法学通説の曲解を批判する。
2019-10-13
そもそも憲法学の特殊なイデオロギー的傾向は広く知られているので、憲法学者を志す者が同じイデオロギー的傾向を持つ者ばかりであるのは、むしろ当然でしょう。
以下は前章の続きである。
特殊な憲法学者。
―東大法学部出身者の多くが「ガラパゴス憲法学」の隘路にはまっているように見えますが、特有の学風でもあるのでしょうか。
篠田。
強いイデオロギー的傾向があるため、特殊な解釈がイデオロギー的な基盤で伝承されていくという傾向は見られます。
そもそも憲法学の特殊なイデオロギー的傾向は広く知られているので、憲法学者を志す者が同じイデオロギー的傾向を持つ者ばかりであるのは、むしろ当然でしょう。
また憲法学のような古い学問分野における東大法学部出身者の場合には、25歳くらいで、いわゆる「植民地大学」(東大の影響力の強い国公立大学など)の准教授になっていくのが人事の慣行であり、いわば博士論文は書かなくても、指導教授の推薦だけで一生を安泰にしてもらえる特殊業界が形成されています。
人事が学界通説を決めているところもあると言えるでしょう。
―「憲法はこうであらねばならない」という理念的・理想的憲法学者が多く見受けられますが。
篠田。
憲法をイデオロギー的に解釈することを美化する特異な文化が日本の憲法学に存在しています。
その傾向を愛して求める人こそが憲法学者になることを志し、そうでない者は間違っても憲法学者にだけはなりませんよ(笑)。
あるいは、その傾向に反する人は、人事慣行のフィルターなどを通じて主流派からは排斥されていく仕組みになっているので、戦後史を通じて、特殊な傾向が、拡大再生産されてきたのだと言えます。
罪深い曲解。
憲法9条1項に関しても、1928年の不戦条約と1945年の国連憲章の「コピペ」であり、ここから国際法から逸脱した内容を読み取ることはできません。
放棄されているのは、もともと国際法で違法とされている「戦争」ですし、自衛権や集団安全保障が放棄されていると主張するのは曲解です。
憲法学通説は、2項の「戦力」不保持と「交戦権」否認によって、1項に立ち戻って絶対平和主義にそって解釈を修正する「ちゃぶ台返し」の解釈が正しい、などとします。
ですが、「戦力(war potential)」は、「戦争潜在力」のことであり、用語と文脈からすれば、一項で放棄された国際法において違法な「戦争(war)」を遂行することを目的とした「潜在力」と理解すべき概念です。
国際法における秩序維持原則である自衛権や集団安全保障のための手段の不保持は含んでいないのです。
また「交戦権」は、国際法に存在していない概念であり、その存在の否認をしても、何も失うものはありません。
「交戦権」は、太平洋戦争中の大日本帝国で用いられた概念であり、否認されているのは、戦争中の大日本帝国における考え方で、現在の日本の国際法上の権利に一切影響を持ちません。
つまり、9条は、国際法を蹂躙した歴史を反省し、国際法を遵守していく、という内容を持った条項です。
前文から、日本国憲法は、そのことを素直に説明し続けています。
ところが憲法学通説は、国際法から逸脱し、国際法の規範を拒絶するための論拠として9条を解釈すべきだと主張する。
罪深い曲解ではありませんか。