信念で武漢熱と呼び続ける――危機を曖昧にしてはならない

青山繁晴氏は、今回の危機を「武漢熱」と呼び続ける理由について、中国の特異な独裁体制が生んだ危機であり、偏見や差別ではなく、将来のリスクを防ぐための客観的な命名であると論じる。
WHOによるCOVID-19という命名、習近平体制、中国共産党の問題、そして危機管理の本質について考察する。

2020-03-14
ウイルスをまず「武漢熱」と命名してから活動。
この危機は、中国の現在の特異な独裁体制が生み出したと考えるからであり、これは偏見や差別の要素がない。

以下は日本国民のみならず世界中の人達が必読の月刊誌Hanadaに掲載された参議院議員、作家、近畿大学客員教授、東京大学自由研究ゼミナール講師である青山繁晴氏の論文の続きである。

信念で武漢熱と呼び続ける

未確認情報としては、武漢病毒研究所で使った実験動物の亡骸の処理が業者に委託されており、さらに実際の処分は低所得層が担っていて、焼却するのではなく武漢のマーケットにジビエ、野生肉として売却したのではないかという情報がある。
誤解を決してなさらないでほしい。
あくまでも未確認情報だ。
単なる憶測とさして変わらない。
ただ同時に、武漢だけではなく中国の内陸部で貴重なタンパク源として、ネズミ、蛇、ハクビシン、蝙蝠、ウサギ、狐などが、場所によっては1000年を遙かに超えて食されてきて、これまで今回のウイルスのような病原体の発生と拡散はなかったらしいという事実はある。
「ジビエの市場からウイルスが出たのではないか」という非公式な説明には、「では、なぜ今なのか」という疑問がつきまとう。
また前述の、潜伏期間の違いが異様に大きい、既存のウイルスの特徴をそれぞれ摘まみ食いするような脅威がある、という謎について、仮に前述のような事故によるとすると説明が付きやすい。

中略

その上でわたしは今回のウイルスをまず「武漢熱」と命名してから活動した。
なぜか。
この危機は、中国の現在の特異な独裁体制が生み出したと考えるからであり、これは偏見や差別の要素がない。
専門家の端くれとしての客観的な、そして今後のために不可欠なリスクヘッジ、将来において懸念される好ましくない要素をあらかじめ防止しておくことである。
前述したように、WHOが中国発のウイルスであることを将来に向けて消し去ることを図るような命名を行うと予想していた。
案の定、COVID-19という本質も何も分からなくなる名にされた。
習近平国家主席が憲法まで変えて驀進している独裁は、中国共産党にとっても通常の独裁ではない。
毛沢東主席に擬した独裁である。
毛沢東主席は、みずからの権力を取り戻す目的で文化大革命を起こし、紅衛兵という名を与えた子どもも使って自国民を数千万人、殺害し、いまだに死者数が確定できないという特異な独裁だった。
習主席は文革こそ起こさないが、腐敗追放の名目で政敵をことごとく葬ってきた。
武漢の市長がこの中央を怖れて、武漢熱の真実を報告しなかったのは、市長の性格だけの話ではないし、そもそもイエスマンを市長にした習体制の責任だ。
さらに習主席ひとりの責任ではなく、かの毛沢東主席の美化された巨大なお顔をいまだに天安門広場に飾っている中国共産党の体制の問題だ。
日本で安倍総理が国民をひとりでも殺害していたら、どうだろうか。
武漢熱のウイルスは、発生と同時に対処していれば、これほどまで世界を苦しめる危機になることは決して無かった。
今回、中国の特異な責任を曖昧にすれば、子々孫々が再び新しいウイルスの脅威に直面することは必至である。
だからわたしは信念を持って武漢熱と呼び続ける。
そして自由民主党の衆参両院議員と政府に浸透してほしいと願って、党の対策本部や部会で発言し続けたのは、危機管理の真の要諦である。
それは危機を管理することが目的ではない。
感染症にしろテロリズムにしろ、身を縮めてしまえば負けである。
管理は、負けないための手段だ。
わたしはエルサレムに初めて入ったとき、主イエスが十字架を背負って歩まれた旧市街のホスピス、巡礼者の宿に泊まり、ここではいかなるテロも起きないことを知った。
逆に新市街を歩くと、どのレストランの床にも、清拭しきれない血がこびりついているのを見た。
そのレストランが毎夜、満席だ。
イスラエルの人々は口々にわたしに「自宅だけで食事したり、外出を旧市街だけにしては負けだから」と語った。
わたしはパレスチナ人の主張にも耳を傾ける。
イスラエルを擁護していっているのではない。
テロが減ったのも、これだけが要因ではない。
だが減った理由のひとつではある。
この稿続く。

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