日本の衛生文化と武漢ウイルス――西尾幹二氏が問う、中国の脅威とメディアの問題すり替え
月刊誌「正論」に掲載された西尾幹二氏の論文は、武漢ウイルス危機において、日本人の衛生観念や社会的距離の文化が感染拡大を抑えてきた可能性を指摘している。同時に、中国人の大量受け入れ、中国の政治体制、現代中国人の拡張的脅威という本質的問題を、メディアが人種差別回避や自然破壊論へとすり替えている危険性を批判する。本稿は、日本特殊論が再び浮上する中で、日本が東アジア全体への誤解に巻き込まれないために何を見据えるべきかを問う。
2020-05-07
欧米人が食事の前に手を洗う姿を見たことがない。
トイレの後にも手を洗わない。
毎晩のように入浴する習慣もない。
以下は、月刊誌「正論」今月号、大特集「国難を乗り切る」の巻頭を飾る西尾幹二氏の論文である。
日本国民のみならず、世界中の人たちが必読である。
中国は反転攻勢から鎖国へ向かう
欧米人が食事の前に手を洗う姿を見たことがない。
トイレの後にも手を洗わない。
毎晩のように入浴する習慣もない。
入浴に慰安を求める日本人とは異なり、浴槽は狭い場所に便器と隣り合わせで置かれている。
入浴は彼らにとって排泄なのである。
この悪習をわが国のホテル業界が文明の型として踏襲しているのは、あらためて考えてみるとグロテスクである。
日本は海の国ではなく山の国である。
春先には毎年、杉の花粉が大都市に降り注ぐ。
電車から降りて、足早に会社に急ぐ人の波は白いマスクを着用している。
日本は公害大国であって、空気が汚れているからこうするほかないのだ、と写真の説明をして、狭い列島を工場で埋めつくしたこの国の産業の成功は、国民の健康と生命を犠牲にしている、とメディアでしきりに自国の優位を吹聴したのは、1980年から90年当時のドイツだった。
その頃、日本は早くも公害克服の筆頭に名乗りを上げていた。
排ガス規制の成果は、間もなく欧州車を圧倒した。
日本の弱点を針小棒大に言い立てて、自国の優位が少しでも見つかると安心して見えすいた自讃の言葉を並べる点で、ドイツは韓国に似ている。
これを書いている2020年4月11日現在、武漢ウイルスのわが国の感染者数は6903人、死者133人で、危険水域を越え、医療崩壊に近づいていることがしきりに警戒されている。
しかし、そのスピードは鈍い。
3月第3週以降のイタリア、スペイン、アメリカの目を見張る急増ぶりに比べて、日本では都市封鎖の実行がペンディングで、禁止規定も罰金制度もまだない。
民衆に自粛を要請するだけのゆるやかな方式が一定期間有効であり得るとしたら、それは公衆衛生の普及の結果であり、ひとつの政治文化の証明であるとして議論を組み立てる価値はあると思う。
日本人は、普段でもマスクを厭わない。
よく手洗いをする。
あまり握手しない。
他人の身体にむやみに触ったりはしない。
互いにお辞儀をするとき、自動的に一定の距離が保たれる。
等々、温順で控え目な民族的気質とも相まって、感染率を下げてきた要因が、伝統的な社会生活の中にあると考えることも、そう間違ってはいないだろう。
しかし、疫病の蔓延と破壊力はがんらい巨大で、あらゆる予測を越えているから、今後のことは分らない。
中国発の未知のウイルスの中に、感染するや3日以内に死をもたらすようなレベルのものが、突如新たに出現するやも知れず、今まで日本政府が採用してきたような生ぬるい措置は、未来の安全を約束していない。
2020年1月から2月へかけての春節の折の中国人大群衆、約90万人を迎え入れてしまった初動のミスや、刑法上の罰則規定をも含む新しい都市封鎖への法令の制定を急がない政府の不決断が、今回は辛うじて大破局なしで済ませるかもしれないが、幸運の繰り返しを保証するものではない。
安倍総理が国会で、
「日本は今のところ何とか持ちこたえている」
とくりかえし発言した背景は、前述したような日本社会の特質、伝統的な衛生観念にあることは、許される見方ではある。
しかし、政治はつねに未知のものへの畏れ、最悪の事態の準備を要求している。
それに、今度のこの新型ウイルスの問題は、医療水準や公衆衛生の観点から、ナショナルプライドに関わる比較や反省を各国に強く求めはするけれども、恐らくそれにとどまらない課題を秘めている。
今まで押し隠していた経済的不合理、国家間競争の不公正、弱者の仮面を被った強者の専横、後発国の特権を押し立てる新しい全体主義とどう対決するかという、世界全体の政治意識に一大変革をうながす論争に火を点けるかもしれない。
イタリア、スペイン、イラン、アメリカにおける今回の失敗は、医療保険制度の不備にあるといわれるが、それとともに、あるいはそれ以前に、中国人の大量受け入れが主原因であることは、つとに知られてきた前提事実である。
しかし、それを表立って言いたくない動機をもつ一群の人々がいて、人種差別は避けたいという綺麗ごとを押し立て、あるいは別の口実として、技術開発が地球上の自然破壊の限界点に達し、未知のウイルスを誘い出したことが人類史上の最大の問題点だという論点を出して、
例えば4月4日夜放送、NHK Eテレ「ETV特集 緊急対談」のように、
中国の政治体制と現代中国人の拡張的脅威の問題を蔽い隠してしまおうとしている。
日本のメディアの特徴でもあり、意図して行われる問題のすり替えである。
4月5日にアメリカの感染者数は30万人を超えた。
9日には45万人。
日本のそれは、急速にその後を追っているかのごとき不安を国内に膨らませはしたが、いまだ3000人余である。
9日には5000人余。
死者も4000人余に対する100人前後である。
世界から静かに日本に不審の目が注がれ始めた。
噂に基くいろいろな推定や分析がなされている。
例えば、BCGの集団接種の行われた地域の感染率が低い、との統計上の数値をもち出し、ウイルスと接種との関連を論じる人もいる。
他方、私がこのところ耳にする知人からの愉快でない情報は、地球上いたる処でアジア系住民への差別が少しずつ露骨になってきたことだ。
居たたまれなくなってヨーロッパから逃げ帰って来た日本人もいる。
通りがけに白人の口から、
「コロナ!」
と罵声を浴びせられたことも少なからずあったそうだ。
善きにつけ悪しきにつけ、「日本特殊論」がまたしても浮上している。
思いもかけず、大きな戦争の跡のような自国民の大量死者の数が報じられだして以来、傷ついている国々が増えている。
当然ながら、ウイルス発祥地の武漢を抱える中国への風当たりは強い。
日本は何の責任もないのだが、舵取りを間違えると、東アジア人は同罪という妙な誤解の渦に、心ならずも巻き込まれてしまう危険な可能性の門口に立っている。
この稿続く。