『クレオパトラ』を観て、天才と愛と日本の衰退について思った事
NHKBSで山本先発のドジャース対パドレス戦を観た直後、久しぶりに映画『クレオパトラ』を鑑賞した。
天才たちが作り上げた本物の映画芸術、アントニーとクレオパトラの本物の恋愛、そして日本の長期デフレとオールドメディアの罪について、ラフ原稿として記す。
今日、NHKBS1で始まった、山本先発のドジャース対パドレス戦を試合終了まで見ていた。
ドジャースの大勝を見届けて、外出しようと思っていたのだが、終わった途端に、『クレオパトラ』の放映が始まったのである。
私はこの映画は、最低でも二度三度は見ている。
だが、今日これを見るのは実に久しぶりだった。
映画とは、ご存知の通り、いい映画というものは、始まった瞬間に分かるものである。
つまり、カメラのアングル、それから、セットが本物であるかどうか。
本当にお金が、いい意味でかかっている作品かどうか。
そういうことは、始まった瞬間に分かるものである。
私は外出の予定を変更して、この映画を鑑賞することにした。
当時の本当の大作映画には、休憩タイムが入るほど長時間の作品があった。
若い時分の私は、音楽だけではなく、有数の映画愛好者でもあったから、そのような映画は数本見ている。
さて、この映画を観た私は、六月二十六日、名古屋での中野りなの演奏で感じたのと同様の感慨を持った。
つまり、天才を救えるのは天才のみである。
天才の苦悩を癒せるのは天才のみである。
この映画の台詞の一つ一つが、ただものではない。
天才たちが集合して作り上げた本物の映画芸術である。
これはベートーヴェンの時代にはなかったものである。
だから彼は、音楽が芸術の中の至上であると言った。
絵画、詩歌、小説。
これらには、肉体を揺さぶる響きが無いからだ。
珠玉の台詞が満載されているこの映画の第二部が、アントニーとクレオパトラである。
二人の恋愛は本物である。
ためにアントニーは死んだ。
そのアントニーが死にゆく場面で、「愛する者の抱擁、口づけの中で死んで行きたい」…そのようにして彼は死んで行く。
私は、これこそ勇者の死であると断言する。
人生の時間から見れば、極めて少ない異性との関係の中で、私は、読者はご存じの理由で、十九歳から二十五歳までの女性と付き合って来た。
皆、素晴らしい人たちである。
最後の人。
私はピカソではない。
全く無名の人間である。
それで私は、約束された人生から遥かに遠くの地平で、ビジネス人生最盛期のたった十年間だけでも日本国に百七十億円超の納税を為した在野の偉大な武士だったにも拘わらず、表面的な年齢の差の事を、その時にはやってくる常識人的な考えに囚われて、彼女と結婚できなかった。
その彼女に私がいつも言っていた事は、正にアントニーと同様の言葉だった。
本来なら百億長者になっていたはずの道が、所謂、総量規制=いまだに続くデフレの始まり=日本経済の大停滞を齎した世紀の愚策によって断たれた。
これを齎したのが、朝日新聞経済部の一記者に過ぎなかった山田厚史であり、この頃、「清貧の思想」などと論陣を張り出した朝日新聞だった。
これが世紀の愚策である事は、この三十年超、欧米諸国が蛇蝎の如くに忌み嫌って来た事が「日本型の長期デフレ」に陥る事であり、それを防ぐために、兆候が現れたら、直ちに政策を発動して、これを防いできたのも歴然たる事実である。
当時の日本のGDP五十五兆円、米国のGDP七百五十兆円。
それが今では、米国は六倍超、日本は安倍さんが頑張って何とか元に戻したが、消費税増税で、又、元の木阿弥となった。
高市さんが本欄が指摘した通りの大圧勝を遂げて、正しい経済政策を執り出したら、財務省と、これの手先と言っても過言ではないオールドメディアが、信じがたい高市攻撃、貶め報道を開始し出した。
週刊文春の報道などは、中国の工作まで明白なほどの幼稚園児以下の、これ以上ない程にお粗末なものだった。
だが、その悪辣さ、醜悪さは、もはや重大犯罪であるのが実態である。
これ幸いと、あろうことか、国会で執拗に高市攻撃を開始し出した愚劣な野党の態様が正しいかの様に報道するNHKの十九時と二十一時の看板報道番組。
彼らの態様は絶対的に、真正な日本人の態様ではない。
あのような報道を為すNHKは、実質的には日本国営放送局である。
あのような報道を為す者達、及び、これを読み上げるだけの男女の司会者。
彼らは何一つ、自分たちが読み上げる内容について、自分で検証した事は無い。
している事は、日本最高級の高給取りであり最高の労働条件である事を活かして、女性なら結婚相手として有名セレブをゲットする為の夜の飲食等の活動のみであると言っても全く過言ではない。
そのような者達が、日夜、日本各地の世界最高級の演奏会場で、世界最高級の演奏を行っている、それぞれに天才であるオーケストラ団員の年収の軽く二倍以上の年収を得ている事に、私は、心底、義憤を感じる。
この稿続く。