道真・諭吉・辻政信が見抜いた支那――今度こそ切って捨てる時

高山正之氏の週刊新潮連載「道真に学ぶ」をもとに、日本と支那の古代から近代、そして武漢ウイルス禍に至る関係を検証する。漢字、遣唐使、脱亜論、日清戦争、支那人観を通じて、菅原道真、福沢諭吉、辻政信が見抜いた支那の本質を論じる。

2020-05-23
漢字は便利だが、支那人の使い方はヘンだ。
表意だから新しい事象が出るたびに新字を創る。
それは愚者のやることだと。
で、日本人は仮名を発明し、その欠陥を埋めた。
以下は、道真に学ぶ、と題して掲載された今週号の週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
この論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
見出し以外の文中強調は私。
日本と支那の付き合いは結構古い。
紀元1世紀にはあの「漢委奴国王印」が届いている。
後漢書には日本から使いがきて光武帝が金印を授けたとある。
印の文字は漢字。
日本人は漢字をその頃から知っていたが、それを使い始めるのは500年もあとだ。
それも漢字を本来の表意文字でなく表音文字の、万葉仮名として使い始めた。
漢字は便利だが、支那人の使い方はヘンだ。
表意だから新しい事象が出るたびに新字を創る。
それは愚者のやることだと。
で、日本人は仮名を発明し、その欠陥を埋めた。
他に何か学ぶものはあるかと思い、遣唐使を派遣した。
紙漉きや鍍金はそれで学んだが、他に支那人がやっていたのは科挙の制に男児を去勢する宦官に女の足を[匙に乗るほど]小さく縛める纏足、それに奴隷制と残酷刑……。
菅原道真は「もはや支那に学ぶものはない」と9世紀末、遣唐使を廃して支那を切って捨てた。
支那は周辺諸国を四夷八蛮と侮ったが、そんな支那に王朝を建てたのはソグド系の殷に始まって鮮卑の隋、唐、モンゴルの元と四夷八蛮がほぼ占める。
やっと漢民族がつくった明王朝の時代、秀吉もちょっと出ていってみた。
支那人は青銅の銃を構えたが、種子島は彼らの鎧を打ち抜き内臓を破壊した。
英軍が後に発明したダムダム弾ほどの威力だった。
戦いのさなかに秀吉が逝って明は滅びずに済んだ。
江戸末、遣米使節に立った新見豊前守は大西洋から喜望峰回りで帰国した。
彼は最後の寄港地、香港でそのころの支那人を見た。
「英人は鞭を挙げて支那人を制し往来を開いて我らを通行せしむ」「(英人に対する支那人の様は)小魚の鰐に遭いたる如し」
荻生徂徠の言う徳の国の民には到底見えなかったと記録している。
黒船来航によって開国した明治日本は鉄道、通信、ガス、電気など西洋先進国の技術から思想まで、お雇い外国人を通して速やかに吸収し始めた。
その一方で江戸時代を支えた支那の儒教は「外見の虚飾のみを事として真理原則の知見なきのみか道徳さえ払い捨てる」(福沢諭吉「脱亜論」)ものだとし、そんなものを相変わらず大事にして「自省する念なき支那、朝鮮はとても独立を維持する道はない」(同)と切って捨てている。
実際、日清戦争で戦った支那人は卑劣だった。
豊島沖で東郷平八郎の巡洋艦「浪速」と遭遇した支那巡洋艦「済遠」の艦長方伯謙は暫しの交戦後、停船して戦闘旗を降ろした。
国際ルールに従った降伏の形だが、日本艦が近づくや、やにわに魚雷を発射して遁走した。
国際的な取り決めも守らない。
支那人の特性だ。
「済遠」は黄海海戦にも出たが、海戦史上初の敵前逃亡も演じている。
陸戦も酷かった。
彼らには捕虜の概念がなく、日本兵を捕虜にすると「耳鼻を削ぎ目玉を抉る酸毒の所為を以って」(山縣有朋の訓示)必ず惨殺している。
仁義礼智信など欠片も持たない民族だった。
それでも日本人は教育と豊かさを与えれば少しはましになるとピルズベリーみたいに考えた。
それで米国の手先になり下がった蒋介石と戦いながら塘沾に東洋一の大埠頭を作ってやった。
ノーベル賞ものの多収量小麦、農林10号を作った稲塚権次郎も派遣して穀物から野菜まで品種改良させた。
因みに農林10号は戦後、米国人が盗みだしノーベル平和賞を取っている。
しかし辻政信は支那人改善策には反対だった。
彼の『これだけ読めば戦は勝てる』には支那人に信を置くことは無駄と書いている。
その支那がコロナを広め、世界に棺の山を築かせた。
それも疫病の正体を故意に隠して。
それがバレても御免でもない。
逆に相手国を罵倒して開き直る。
その姿は道真、諭吉、辻政信の見た支那と寸分の変りもない。
過ちは繰り返しませぬ。
今度こそ確実に支那を切って捨てよう。

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