インドネシア独立とオランダの報復裁判――自国を否定する「良心的知識人」の錯誤
日本軍がジャワ島へ上陸した後、オランダ軍はほとんど戦闘を交えることなく降伏したにもかかわらず、敗戦後の蘭領東インドでは225名もの日本軍人が処刑された。
平川祐弘氏の論文と今村均将軍の回顧録から、インドネシア独立によって植民地を失ったオランダの報復感情、戦争犯罪裁判の実態、そして自国を否定することを「良心的日本人」の証しと考える学者やNHK報道部の姿勢を問い直す。
2020-06-22
こういう学者先生は、自国にネガティヴであることが、良心的日本人の証しだと思っている。
そして、あたかも自分が高級な知識人であるかのような態度をとる。
月刊誌『正論』今月号には、読み残している箇所がたくさんあった。
今朝、平川祐弘さんの連載を読んでいた。
長文である。
その時に、これは今の中国そのものだな、と思った箇所があった。
最後に平川さんがまとめて掲載している註の中には、私の思いが正鵠を射ていたことを証明する箇所があった。
本稿では、それらの箇所と、日本国民全員が知るべき箇所を抜粋してご紹介する。
平川さんの論文は、日本国民のみならず、世界中の人たちが必読である。
インドネシア独立とオランダ
1942(昭和17)年3月1日に日本軍がジャワ島に上陸するや、オランダ軍は実質的な戦闘を交えることなく、3月9日に降伏した。
被害は最も少なかったはずだが、その蘭領東インドで敗戦後、日本軍人が最も多く、225名も処刑された。
なぜか。
そのオランダの重刑主義について、ジャワ攻略の最高司令官で、その後はジャワ軍政の最高責任者となった今村均将軍は、『回顧録』にこう説明している。
「他の連合各国は、ともかく日本を打倒したという勝利の誇り、満足感をもっている。……しかるにオランダの場合は、終戦後、英豪軍により取り戻された蘭印諸島を引き渡されたにすぎないから、直接日本軍の上にのしかかり、これを圧倒した優越感は遂に味わい得ないで終った。自然、鬱血は散らず、溜飲は下らない。この民族的物足らなさが、戦争犯罪軍事裁判の形の上に報復感情のはけ口を見い出したのである。かようにして被害の最も少なかった国が、最も残酷な処刑を行なったのである。」
註3
緒戦における米英蘭軍の敗退に伴い、各地で独立運動は加速した。
インドネシアでも、原住民の独立運動は、日本の降伏後もさらに強まった。
それを抑えようとして戻ってきたオランダ軍が、各地で見せしめのためにも軍事法廷を開いたことは、容易に察しがつくだろう。
日本のミッション系大学の教授で、インドネシアでは日本軍の残虐行為が特にひどかったに相違ないと考え、現地調査に赴いた「良心的な」人もいた。
こういう学者先生は、自国にネガティヴであることが、良心的日本人の証しだと思っている。
そして、あたかも自分が高級な知識人であるかのような態度をとる。
*NHKの報道部を支配している人間たちと、全く同等の態度である*
しかし、それは誤解を深めただけではあるまいか。
英国人の日本研究者、イアン・ニッシュ教授の説明によると、英国植民地にいた英国人は、子弟を教育のために本国へ送り返すなど、本国との関係を切らずにいた。
それだから、植民地喪失後も、本国への帰還がまだしも容易だった。
それに対し、蘭領東インドに住みつき、現地での歴史が長かったオランダ人は、故国との縁が切れ、現地で裕福な生活をしていた。
それだけに、引き揚げ後、本国に定住する際には、辛い目に遭った。
オランダ人の怨恨が深いのは、その事情によるという。
オランダの王室関係者も、日本の皇室関係者に、その恨みつらみを口にするらしい。
それなら、日本の皇室関係者も、そろそろどなたかオランダの方に、「インドネシアは独立して結構ではございませんか」と、穏やかな言葉でご挨拶してよい時期なのではあるまいか。
この稿、続く。