環境保護の美名と治水責任――川辺川ダム反対運動、リニア中央新幹線、災害大国日本の教訓
令和2年7月豪雨による球磨川流域の被害と川辺川ダムをめぐる治水政策を検証し、「環境保護」の美名によって国民の生命を守るインフラ整備が妨げられる危険性、リニア中央新幹線問題、避難所の段ボールベッドをめぐる行政対応について論じる。
2020-07-08
2020年7月、記録的な豪雨によって熊本県の球磨川流域は甚大な被害を受けた。
国土交通省の記録によれば、球磨川では浸水面積約1020ヘクタール、浸水戸数約6110戸が確認されている。
豪雨後に国、熊本県、流域市町村が行った検証では、仮に当時の計画に基づく川辺川ダムが存在していた場合、人吉地区の浸水範囲を約6割、浸水深が3メートルを超える範囲を約9割低減できたとのシミュレーション結果が示された。
これはあくまでも一定の条件に基づく推定であるが、ダムを含む治水施設の必要性を、理念や感情だけでなく具体的な被害想定によって検討しなければならないことを示している。
本稿は、豪雨災害直後の2020年7月8日に、治水政策をめぐる政治と社会の責任について書いたものである。
原文では、当時の静岡県知事であった川勝平太氏のリニア中央新幹線に対する姿勢も厳しく批判している。
ただし、静岡県が公式に掲げていた論点は、大井川の水資源への影響と南アルプスの自然環境保全であった。
したがって本再掲載版では、川勝氏の政策判断への批判は明確に記す一方、中国側の意向との関係など、客観的証拠の示されていない推測を事実としては断定しない。
【原文の核心】
「彼らの常套文句である『環境保護』の美辞麗句の名の下に反対運動を繰り広げ、治水のためには不可欠だったダム建設を葬った人間たち――野党政治家、いわゆる知識人、いわゆる市民団体。」
【環境保護の美名と、報道されない治水責任】
大規模な自然災害が発生した後、新聞やテレビは雨量、河川の氾濫、住宅被害、避難所の状況を繰り返し報道する。
しかし、その被害を軽減するために過去に計画されていた治水事業が、誰の判断によって中止され、どのような代替策が採用され、代替策が本当に十分であったのかについては、ほとんど追及しない。
これこそ、メディアが最も厳しく検証しなければならない問題である。
環境を守ることは当然である。
清流、森林、生態系、住民の暮らしを守ることは、国家と自治体の重大な責務である。
しかし、環境保護という言葉を唱えさえすれば、治水施設に反対する側が常に道徳的に正しいことになるわけではない。
ダムには環境への影響がある。
一方で、ダムを建設しないことにも、人命、住宅、産業、地域社会に対する重大な危険がある。
比較されなければならないのは、「自然を守る善」と「開発を進める悪」という単純な構図ではない。
建設した場合の影響と、建設しなかった場合に失われる可能性のある生命と財産を、同じ厳しさで比較しなければならないのである。
【反対した側にも、結果を検証する責任がある】
川辺川ダム計画に反対した政治家、学者、市民団体、報道関係者は、その時点で自らの信念に基づいて行動したのだろう。
しかし、政策に影響を与えた以上、その後に大災害が発生したとき、自らの主張と判断が適切であったかを検証する責任がある。
「環境を守るためだった」という一言だけで、検証を拒むことは許されない。
賛成した側も反対した側も、事実と数値に基づき、自らの判断を改めて検証しなければならない。
行政も同じである。
ダムだけに頼るのではなく、堤防、河道掘削、遊水地、森林管理、土地利用規制、避難情報、住宅移転などを組み合わせる流域治水が必要である。
だが、「ダムによらない治水」という標語が、ダムという選択肢を最初から排除するための政治的な合言葉になってはならない。
国民の生命を守るために必要であるなら、あらゆる方法を科学的に比較し、最も効果的な組み合わせを選ぶべきである。