あの意見広告が掲載されていたなら――「失われた20年」と日本ジャーナリズムの不自由

2020年3月11日。1990年の総量規制に対し、筆者は日経新聞に全国版全段広告で大蔵省と日銀へ問題提起する意見広告を出そうとした。しかし新聞社はそれを実現しなかった。この経験から、日本のジャーナリズムには本当の自由がないことを知った。

2020-03-11
読者諸兄は、上記の意見広告が、あの時、日本全国の日経新聞購読全世帯に掲載されていたら「失われた20年」も少しはマシだったのではないか、と思いませんか?
私たちの国のジャーナリズムについて。
と題して2010-07-30に発信した以下の章の続きを希望する、と告げてきた読者の人がいた。
当の私が感心した次第で、感謝します。
さて、続きについてですが、2010/7/16に、こうして登場して以来、書き続けている本稿の全てが、その続きであると思って読んで下さい。
以下が冒頭の章です。
この国では、おかしな事に、僕の様な無名の人間が、大金を払ってでも提言したいと思っても、新聞社は、そのような、無名の人間に依る意見広告は掲載してくれないのですね。
例えば平成2年4月の事、当時、定期的に僕の話を聞きに来ていた日経新聞大阪支局の広告局長が居た。
僕は単純で簡潔な広告を大至急、全国版、全段ブチ抜きで掲載してくれと依頼したのです。
費用は3,500万円。
当時の弊社には何の問題もなかった。
「拝啓大蔵省及び日銀総裁殿。
今般の総量規制は以下の2点で憲法に抵触していませんか?
一、僕は所謂左翼では無いので、敢えて労働者と言う言葉は使いませんが、不動産業者と言うのは中小企業の集まりです。
そこで働く従業員の生存権を侵害していませんか?
二、一つの業界、一つの業種にお金を貸すなというのは職業選択の自由に反していませんか?
そこまで言わなくても、資本主義の根幹は私有財産制に在り、その土地を担保にお金を貸して金融、銀行、が生まれ、やがて証券、株式市場が生まれて行く。
その根幹がガタガタに成りますよ。
一つの業界、一つの業種に金を貸すなと言うのは、民主主義ではなくファシズムではありませんか?」
彼は「4月、5月は満杯なので6月に掲載できるようにします」と。
6月になっても、待てど暮らせど返事がないので電話で尋ねると、「すみません、6月も大企業の決算広告で一杯なんですわ」
この時、僕は、私たちの国のジャーナリズムはジャーナリズムではないと瞬時に知ったのです。
ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなら3,500万円ものお金を掛けて、国に提言しようとする文章、国の過ちを糾そうとする文章を掲載しない事は有り得ないからです。
皆さんは、この国に自由が在ると思っていらっしゃるでしょうが、本当の自由はないと僕は思う。
僕は、良い男だった彼に「二度と弊社の敷居はまたがないでくれ」と告げました。
以来、彼と会った事は一度もありません。
彼は、僕の様な発想をする社長には会った事がないと言って、定期的に来社していたのですが。
読者諸兄は、上記の意見広告が、あの時、日本全国の日経新聞購読全世帯に掲載されていたら「失われた20年」も少しはマシだったのではないか、と思いませんか?
この間までの朝日新聞の広告は酷かった。
まるでスポーツ新聞の紙面のよう。
不景気とネットに押されて、今、新聞社の経営は青息吐息のはずです。
僕は貴方達に提案したい。
あんな酷い広告で埋めるのなら、意見を掲載したい個人に全段を提供したらどうですか?と。
今の僕は、とても、そんな余裕は有りませんが、今を盛りの人は幾らでも居るはずですから。
言論の自由が看板であるはずのジャーナリズムには一番相応しいと僕は思う。
無用にどぎつい表現や明らかに不要な部分は推敲し、レイアウトを助言して3,500万円。
大きな収入だと思うのですが。

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