加害者から被害者へ――韓国の声闘文化とレーダー照射事件の本質
室谷克実氏の著作『反日種族の常識』から、韓国社会における「謝罪」要求の構造、声闘文化、そしてレーダー照射事件をめぐる韓国側の対応を紹介する。
韓国では、非を認めることが「負けること」と受け止められ、謝罪を避ける一方で、相手には永遠に謝罪を要求する精神文化があるとされる。
本章は、慰安婦問題、いわゆる徴用工問題、そしてレーダー照射事件に共通する、加害者から被害者へと立場をすり替える構造を明らかにする。
2020-03-18
レーダー照射をした加害者が、威嚇飛行をされた被害者に変わったのだ。
加害者から被害者への変わり身の早さは韓国人の特技だ。
以下は、本物のジャーナリストであり、最高の韓国通の一人でもある室谷克実氏の著作『反日種族の常識』からである。
日本国民のみならず、世界中の人達が必読の書である。
私と同様に、世界中の人達も初めて知る韓国の実態を明らかにした本である。
底しれぬ悪と、まことしやかな嘘の国々は、自国の実態についても嘘をつく。
つまり、自国の実態については隠し通す。
韓国と通じてきた朝日新聞等の新聞会社や、NHK等のテレビメディア会社、野党の政治屋、所謂人権派弁護士、及び市民団体等は、この真実の本が明らかにしている韓国の実態を隠し続けてきたのである。
以下は前章の続きである。
なぜ永遠に「謝罪」を要求するのか。
だからスポーツ競技でも、どこまでも勝敗に拘る。
フェアプレー精神がない。
国内の中高校生の大会ですら、父兄やコーチによる審判買収がある。
彼らは、どんな汚い手を使っても勝てばいいと思っている。
韓国人は、いつの頃からか、そんな精神文化のなかで育ってきた。
おそらく、朱子学に染まり切った歴史が影響しているのだろう。
「非を認めること」は、韓国人とすれば「負けること」に他ならない。
だから、彼らは「素直に謝る」ことができない。
非を認めて素直に謝れば、周囲はそれで何事もなかったかのように扱ってくれるのが日本社会だ。
しかし、韓国は違う。
謝罪したら最後、徹底的に追い込まれる。
朴槿恵前大統領がその良い例だ。
そういう精神文化のなかにいるから、自分は謝罪しないが、相手にはしつこく謝罪を要求する。
韓国人は、自分たちの精神文化、彼らの言葉では「道徳性」となるものは優れていると思い込んでいる。
物質的な意味での先進国は、みな同じような精神文化だが、自分たちの道徳性には劣ると韓国人は信じている。
だから韓国人の口からは、「日本に対して道徳的優位にある我々は……」といった言葉が当たり前のように発せられるのだ。
夜郎自大の国というか、国民的な大誤解を抱えていると言える。
慰安婦問題、いわゆる徴用工問題で、いつまで経っても「謝罪」を要求するのは、そうした独善的な精神文化によるところが大きい。
それだから、日本ごときの「道徳的に遅れた国」が謝罪しても認めない。
いつまで経っても、「誠意ある謝罪ではないからダメだ」となる。
もう付き合いきれない反日種族だ。
加害者から被害者にすり替わる特技。
泥棒族の話に戻れば、非を認めず、したがって謝罪もしたくないから、「お前こそ、前に俺の物を盗んだじゃないか」と言い返すのだ。
これで相手を面食らわせる。
そして、「お前こそ……」と声を張り上げることで、泥棒をしたところを見付けられてしまった弱い立場から、「お前がしたから、こちらもしたのだ」という“対等の立場”になって開き直る。
主張の論理性よりも、声が大きいほうが勝つ。
俗にいう「韓国の声闘文化」だ。
「レーダー照射を受けた」と、日本側が再発防止を求めた。
誤解している人が多いが、日本は謝罪を要求しなかった。
これに対して、韓国国防省は当初、「わが軍は正常的な作戦活動中だった。
作戦活動の際にレーダーを運用したが、日本の海上哨戒機を追跡する目的で運用した事実はない」と述べた。
聯合ニュース、2018年12月21日の記事である。
つまり、レーダーを照射した事実は認めていた。
泥棒族でいえば、「借りただけ」と、犯意を否定したわけだ。
この時点で、国防省が「正常な作戦活動中」として、「北朝鮮の遭難船の救助活動に当たっていた」と言わなかったのはなぜか。
私は見逃せないポイントだと思う。
その後、韓国国防省の弁明は「レーダー照射はしていなかった」となり、日本側が証拠映像を公表するや逆切れして、「お前こそ低空で威嚇飛行をした。
謝罪しろ」と出てきた。
まさに「泥棒と言われたら……」の処世訓どおり、質悪の泥棒族の対応になった。
レーダー照射をした加害者が、威嚇飛行をされた被害者に変わったのだ。
加害者から被害者への変わり身の早さは韓国人の特技だ。
*この章は、村上春樹は永遠に日本国民に謝罪し続けなければならない事を明らかにしている*
