浅海一男を抱え込んだ中国――「百人斬り」報道と南京大虐殺宣伝を支えた嘘の支柱

高山正之氏の指摘をもとに、東京日日新聞の「百人斬り」報道を書いた浅海一男が、戦後中国に囲い込まれた意味を読み解く。南京大虐殺宣伝、日本人将校の冤罪処刑、中国の対日工作、日本のODA獲得までを一つの線で結び、中国がいかに歴史の嘘を政治利用してきたかを明らかにする章。

2020-04-22
1979年から中国は日本のODAを引き出すわけだが、要するに、浅海が自供してしまったらすべて台無しになってしまうだろうということをちゃんと知っていて、予防線を張ったのである。
浅海一男は貴重な嘘を支える支柱だった。
だから、中国は浅海を抱え込んだ。
と題して、2019-02-16に発信した章を再発信する。
以下はp98からである。
この章を購読した人たちは皆、「高山は凄い!」と感嘆したはずである。
活字が読める日本国民は全員が、今すぐに、最寄りの書店に行ってこの本を購読しなければならない。
世界中の人たちは、私の翻訳で、誰もが物事の真相について全く知らなかった事を痛感しなければならないのである。
●100人斬りの記者を囲い込む中国の悪知恵
高山
支那人もアメリカ人に似てあくどい。
日本人が及びもつかない悪だくみを平然とやってのける。
その一例が1960年代の廖承志の動きだ。
1966年に文化大革命が始まるが、その前に廖承志は、日本から招いた新聞関係者の中に浅海一男が入っているのを知った。
浅海一男は1937年、東京日日新聞紙上に「百人斬り競争!/両少尉、早くも80人」という見出しの、野田毅少尉と向井敏明少尉が南京入りまでに日本刀でどちらが早く100人斬るかを競ったという与太記事を書いた。
戦後、浅海の記事が元で、野田、向井両少尉は無実なのに銃殺刑にされた。
この「百人斬り」報道は、支那とアメリカで捏ね上げた南京大虐殺の嘘の補強材料にも使われてきた。
それを書いたのが、この浅海だった。
当時は毎日新聞の労組委員か何かをやっていた。
廖承志は、即座に浅海とその家族、つまり妻と娘も一緒に支那に招いて、好条件で職を与え、娘は北京大学に入れた。
何故そんなことをしたか。
「百人斬り」は、証拠をかき集めても嘘と分かっていた。
浅海を日本に置いておけば、実際、稲田朋美さんがその事実を争う訴訟を起こしていたけれど、浅海が「嘘でした」「申し訳ない」と謝罪するのが目に見えていたからだ。
浅海の嘘がばれれば、芋づる式に南京大虐殺の嘘もばれていく。
まさに蟻の一穴になる。
南京大虐殺の嘘がばれれば、鄧小平の時代に花盛りを迎える日本からのODA、政府開発援助、もあり得たかどうか。
そこまで読んで、浅海一家を早々に囲い込んだ。
浅海一男は貴重な嘘を支える支柱だった。
だから、中国は浅海を抱え込んだ。
1970年代に百人斬りが日本で問題になったとき、浅海は北京から行って、あれは本当だと証言して、また北京に戻っている。
浅海の娘は北京大学を出て、そのあと北京政府はちゃんと面倒を見ている。
僕は偶然だけど、その娘に会った。
日本人観光客向けの施設の一隅でティーハウスを経営していた。
店には廖承志の額があり、「浅海一男へ」と入っていた。
彼女に聞いたら、「ああ、父です」と言う。
あんたの親父の与太記事で少尉2人が無実の罪に落とされたじゃないか、と問うてみた。
娘は平然と「無実かどうかは父が知っていることです」と答え、「父も苦しんだんです」と言う。
「人を殺しておいて苦しむのは当たり前だろが」と娘にはっきり指摘してやったが、何の反省もなかった。
感じたのは、廖承志のものすごい深読みである。
1960年代当時から、これをネタにしようと決めていた。
日本人には、こんな悪知恵は働かない。
1979年から中国は日本のODAを引き出すわけだが、要するに、浅海が自供してしまったらすべて台無しになってしまうだろうということをちゃんと知っていて、予防線を張ったわけだね。
大したものだとしか言いようがない。

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