読者の方は既にお気づきかも知れないが、昨日、私は、予定通り向かった二条城で

読者の方は既にお気づきかも知れないが、昨日、私は、予定通り向かった二条城で、ただひたすら自分の母親と対話していたのでした。
生きていてくれることを祈ってはいるけれど、10%の覚悟も持ちながら3月11日以来、過ごしていた訳ですが。
帰宅して写真を取り込んでPMBでそのままスライドショーにして見た時に、胸がつまりました。
全ての写真が、その通りだったから。
トルストイが、「アンナ・カレーニナ」、の冒頭で書いた通り、「幸福な家庭はみな似たりよったりだが、不幸な家庭は様々である」。
私の人生が世間的に言えば全く幸福ではなかった様に、当然ながら、母親の人生も全く幸福なものではなかった。
いずれ、そのことはメルマガに書きますが
今しがた、仕事が一段落した後に、昨夜掲載した写真を見て驚いた。
23:03分.20秒に投稿した写真の中に奇妙なものが映っているのです…
画面右端の一番前の石橋の所です。
この時、なにかごみが飛んで来るような風は吹いていなかったのに…
あんまり考えると妙な事に成りますから。
ただ言える事は、私の写真をご覧頂いて来た方は、お分かりだと思いますが…私は、宮沢賢治に負けないほどの、極めて強い自然に対する感応力も授かっている人間ではあるのです…
このことは、いずれ掲載する、今年1月29日に永観堂の後に訪れた、南禅寺・天授庵…此処は本当に素晴らしい所…♪How fair this spot♪By サラ・ブライトマン…なのですが…
此処の鯉たちは、どう考えても、何度見ても、あの日、私と交感していたとしか思えないのです。
私が何事か感応した場所に、必然の様に、鳥や鯉が現れるのは偶然ではないと私は思っているのです。…
他の誰とも違う摩訶不思議な何かを発散している私に、彼らが反応するのだ…
私は、そう感じているのです。…
まぁ、普通に考えても、日本有数の名所・旧跡に行って、長時間、鯉や鳥たちの写真を撮っている人間も、そうはいない訳で。

未だに全く掲載していない修学院離宮などは、鳥捕りの親方に逢いに行った様なものですから。…
桂離宮や修学院離宮に行った事のある人で写真を撮られる方はご存知かと思いますが、自分の心が感応したら、納得するまで、その場で写真を撮り続ける私には地獄の様な場所…
既述したように、様々な形で200億円超の納税を果たした仕事を為し、今は、こうして21世紀を確立する文章を書き続けている私も、まるで、そこらの変なおっさんか…まぁ、そうかもしれませんが…小学生扱い。
「あなた、さっきから何度か遅れてますよ。1度目じゃないですよ」、等と、後ろを付いてくる係員に2度ほど注意を受けた時には、写真を撮る気も失せた…
前と後ろをサンドイッチして案内されるのです…前の人は説明係…そもそも、あんな形で物をみて、正法眼蔵なぞ起きる訳もない…後略。

…皆様方が、腰を抜かすような、私の芸術論に発展して行く文章は、4月19日以降のメルマガでご購読下さい。


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