中国の悪い癖――高山正之氏が暴く「自らの罪を他国に転嫁する」歴史

高山正之氏の連載コラムをもとに、第二次上海事変、黄河決壊、正定教会事件、新型コロナウイルスをめぐる中国の責任転嫁の構造を論じる。
自国の失敗や加害を他国、とりわけ日本の責任にすり替える中国の宣伝手法を、歴史と現代の事例から検証する。

2020-03-12
支那が生み、支那人が媒介したことがこれほど明らかなのに、習近平はそう思わないところがすごい。
まず支那が政治経済を握ったソロモンなど太平洋の島嶼国に、「日本人の入国禁止」を声高に宣言させた。
以下は今日発売された週刊新潮の掉尾を飾る、高山正之の連載コラムからである。
この論文も、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
支那人の悪い癖。
支那軍の精強六万が、上海の外国人租界を襲った。
1937年夏。
いわゆる第二次上海事変のことだが、ただ標的は日本租界のみで、隣の仏租界には銃弾一発飛んでこなかった。
日本租界を守るのは、わずかな海軍陸戦隊のみ。
フランス人は、その一方的な戦いをビル屋上から見物していた。
米独に嗾けられた蒋介石の日本人殺戮ごっこと知っていたからだ。
いい気味と言っては何だが、米軍が教えた支那空軍は余りに下手くそで、何とその仏租界に爆弾を落とし、450人が死んだ。
別の二機もキャセイホテルや大世界娯楽センターを誤爆し、死者は計1500人に上った。
中には反日を煽ってきた米宣教師や、後の駐日大使E・ライシャワーの兄ロバートも含まれていた。
殺戮戦はしかし、予想に反して、仕掛けた蒋介石軍が敗れて退却を始めた。
彼らはこの戦いの前にも、日本人220人をなぶり殺しにする通州事件を起こしていた。
度重なる暴戻は黙過できない。
日本軍は追討を決め、一軍は長江を遡って逃げる支那軍を追った。
支那軍は質が悪い。
九江の街では糧食を略奪したうえ、井戸にペスト菌を撒いてから要衝武漢に向かった。
「日本軍は九江の惨状を見捨ててはいかない。逃げる時間が稼げる」
そういう読みだった。
実際、追及する第五師団は、「井戸の浄化と市民への糧食補給に一週間以上かかった」。
中島慎三郎『元兵隊の日記』である。
日本軍は黄河側からも武漢を目指した。
徐州ではその緒戦で、三倍の兵力を持つ支那軍を包囲粉砕して蘭封に迫った。
日本側の進撃に戦慄する蒋介石は、幅300メートルもある黄河の堤防数カ所を決壊させた。
「これで日本軍の足を止められると信じた」と、後に郭沫若が白状している。
「折から雨季、増水せる大黄河の濁流は奔然、白波を立てて華南の大沃野を泥沼と化せり」と、仲小路彰『世界戦争論』にある。
日本でいえば、関東から関西まで水没させたのである。
ために「百万人が溺死し、数十万が逃げ惑い、阿鼻叫喚の巷と化せり」。
同書である。
惨状を見て、開封駐屯の日本軍が大小舟艇を出して、被災者の救出にあたった。
それを支那軍は狙い撃ちにし、多くの日本兵が死んだ。
蒋はあくどい。
この無慈悲な蛮行を、「日本軍が空爆して黄河を決壊させた」と真顔で世界に発信した。
己の悪行を他人のせいにして、声高に非難する。
日本は否定した。
だが、「やっていません」はいかにも弱々しく、説得力がない。
蒋介石だけが高笑いした。
この追及作戦中、河北省正定の教会に支那人が徒党を組んで押し入り、オランダ人神父ら七人を生きたまま焼き殺す事件が起きた。
いかにも支那人らしい手口だが、江沢民はそれを「日本軍の犯行」に作り変えた。
日本嫌いのオランダの新聞は、嘘と知りつつ大喜びして書き立てた。
武漢発の新型コロナウイルスの元は、菊頭蝙蝠、キクガシラコウモリという。
日本や欧州にも生息するけれど、支那人だけが食べてきた。
それで支那人に感染し、それを支那人が世界に出かけてばらまいた。
日本では、武漢で罹った支那人が成田の検疫を解熱剤でごまかして持ち込んだのが第一号になる。
ダイヤモンド・プリンセス号に「香港人」を装って乗った支那人がそれに続いた。
以下、札幌雪祭りや和歌山の醤油問屋に来た観光客が、拡散を手伝った。
支那が生み、支那人が媒介したことがこれほど明らかなのに、習近平はそう思わないところがすごい。
まず支那が政治経済を握ったソロモンなど太平洋の島嶼国に、「日本人の入国禁止」を声高に宣言させた。
次にWHOのテドロスに「支那は終息へ」と語らせる一方で、日本を「最大懸念国」の一つと言わせた。
これを受けて北京市は、日本人入国者に14日間の足止めを申し渡した。
外交文書には「新型日本肺炎」とか、紛らわしい表記をする。
そうやっていれば、黄河決壊と同じく、日本のせいにできると思っている。
無理して付き合う国じゃない。

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