「国民の絆」を壊す9月入学論――施光恒氏が指摘する、ドサクサ紛れの社会改造の危うさ

九州大学教授・施光恒氏は、コロナ禍の混乱に乗じた9月入学論を、教育・行政の現場を疲弊させ、世代を超えた国民の記憶と絆を分断する危険な社会改造案として批判する。

2020-05-19
難局への対応で混乱している状態では、変革の必要性について冷静かつ十分な検討は行い得ないし、現場の人々の仕事をいたずらに増やし、疲弊させてしまうだけだからだ。
以下は、今日の産経新聞に、「国民の絆」を壊す9月入学論、と題して掲載された九州大学教授施光恒(せ・てるひさ)の論文からである。
日本国民全員が必読の論文である。見出し以外の文中強調は私。
9月入学の議論が盛んになってきた。
私は反対である。
今回のコロナ禍は歴史的出来事である。
これをきっかけに社会を変えようという議論が出てくることはわかる。
だが、次の二つの議論を明確に区別しなければならない。
混乱に乗じるなかれ
一つは難局に直面してもそれに耐え得るよう国や社会のあり方を強靭化しようとするものだ。
もう一つは、混乱に乗じて本来関係ない大規模な社会改造をこの際、やってしまおうというものである。
前者は必要だが後者は慎むべきだ。
難局への対応で混乱している状態では、変革の必要性について冷静かつ十分な検討は行い得ないし、現場の人々の仕事をいたずらに増やし、疲弊させてしまうだけだからだ。
9月入学は、この後者の避けるべき議論、つまりドサクサ紛れの社会改造提案の典型である。
コロナ禍で教育や行政の現場はただでさえ混乱し仕事が山積している。
9月入学開始ということになれば(来年9月からであったとしても)学校内の行事や制度の変更から、各種法令の改正、会計年度と学校暦がずれることへの対処に至るまで新たな仕事が大量に発生する。
教育や行政の現場をさらに疲弊させるべきではない。
また、大規模な変革を試みる際は、教育や行政の現場から各種業界、地域社会に至るまで多種多様な声に耳を傾け、国民各層の意見を集約し、その是非を慎重に吟味せねばならない。
コロナで混乱した現状では、そうした作業は行いにくい。
現場の声を軽視し、一部財界などの後押しで強引に推進され、昨秋、急遽撤回が決まり大混乱を招いた大学入試への英語民間試験導入の二の舞いを演じることがあってはならない。
難局に対処する結束乱す
さらに指摘したいのは、9月入学のような社会改造の提案が、難局に対処するために何よりも必要な国民の結束や協調の絆を弱体化させてしまう恐れがあることだ。
コロナ禍で明らかになったのは、難局に対処するには、国民の結束や協調が最重要ということだ。
特に我が国ではそうである。
中国のように国家が個人情報をすべて集め、ハイテクを用いて国民の行動を監視・統制するという手は日本では使えない。
また欧米諸国のように外出規制などを厳しい罰則で徹底するわけにもいかない。
法整備上も難しいが、それ以上に多くの国民がそうした厳しい統制を好まない。
従って日本では難局に対処するための結束や協調をもたらす国民相互の絆が特に必要である。
国民の絆を形作るものは様々だが、中でも「記憶や体験の共有」は不可欠だ。
大きなところでは災害や戦争の記憶だが、祭りや季節の行事、生活様式の共通性から得られる記憶も重要である。
多様化した現代社会では、学校教育がもたらす共通の経験や感覚から生じる記憶も大切だ。
学校教育の制度を大きく変えることは、変更以前と以後の世代間に大きな分断を生じさせてしまう恐れがある。
「9月入学では桜の下での入学式や卒業式がなくなってしまう」という意見、および、それに対する「情緒的な意見に過ぎない」という反論をしばしば目にする。
私は、9月入学になれば桜がない卒業式や入学式になってしまうというのは「情緒的だ」と簡単に片づけてはならない問題だと考える。
現代日本では、「桜と卒業式や入学式」という結びつきは、世代を超え国民を結び付ける大切な記憶の絆、イメージの絆の一つである。
例えば、卒業を題材にした従来の音楽や小説、映画も、9月入学が決まれば、その後の世代はあまり楽しめなくなる。
卒業式や入学式だけではなく、各種の学校行事や部活動、受験などの記憶もこれまでとは異なるものになってしまう。
あるいは甲子園の高校野球も様変わりする。
3年生が参加できなくなるので「夏の甲子園」の盛り上がりはなくなる。
甲子園を題材とした多数の小説や映画、マンガなども新しい世代には親しみが感じられなくなる。
強靭化の基盤弱めるな
国民の絆は、このような一見、些細な事柄、日常の事柄の積み重ねでできている。
9月入学への制度変更は絆の弱体化につながる恐れが大きい。
今回のコロナ禍がいつまで続くかわからない。
第2、第3の波の到来も否定できない。
鎮静化するとしても同様の感染症、災害、国際紛争など我が国が今後も様々な難局を経験するのは間違いない。
国民の一体となった対処は、今後もますます求められるはずだ。
それらに対処できるよう国や社会のあり方を今後、どのように強靭化し足腰の強い国家としていくべきかが今後の大きな課題である。
9月入学推進論は、教育や行政の現場を混乱させ、強靭化という本来の課題に取り組む力を削ぐだけでなく、世代を超えた国民の絆を分断し、難局への国や社会の対処力そのものの基盤を弱めてしまう恐れが大きい。
9月入学推進論に惑わされるべきではない。

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