永山則夫――ヴィレッジヴァンガードの遅番のボーイとしてビートたけしが働いていた

永山則夫について、ウィキペディアの記述をもとに、職場での思い込みによる退職、明治大学付属中野高等学校夜間部への入学と退学、密航未遂、自衛隊入隊試験の不合格、そして横須賀基地から盗んだ拳銃による連続ピストル射殺事件までを紹介する。事件後に新宿歌舞伎町で働き、喫茶店ヴィレッジヴァンガードでは、ビートたけし、村上春樹、足立正生らと同じ空間にいたことにも触れる。

2020-06-17

永山が新宿区の喫茶店ヴィレッジヴァンガードに早番のボーイとして勤めていた際、同店の遅番のボーイとしてビートたけしが働いていた。

永山則夫について、ウィキペディアより。
文中強調は私。
守口市の住み込みで働いていた職場では正社員登用の話もあったが、本人がそれに必要な戸籍謄本を取り寄せた際、本籍の欄に「北海道網走市呼人無番地」との記載があり、当時有名だった映画の『網走番外地』シリーズから連想し、自分は「網走刑務所生まれ」だと誤解し、また、この戸籍謄本を提出したらそう思われるに違いないと思い込んで提出せずに隠していた。
この行動を雇用主が怪しんでいる、と思い込んだほか、雇用主の子息が東京の大学に進学したことについても、自分の東京時代の身辺調査に向かったに違いないと思い込み、本人が一方的に逃走するように退職している。

次兄が保証人となり、新宿区の牛乳配達店で働きながら勉学し、1967年4月、明治大学付属中野高等学校の夜間部に入学。
しかし同年7月に不祥事で除籍処分を受け、牛乳店も辞める。
その後、1968年に熱海市で定期便トラックをヒッチハイクして神戸に向かい、二度目の密航を企てるも失敗。
船内で手首を切って自殺を図ったが、横浜に戻される。
同年2月に三番目の兄の紹介で杉並区の牛乳店で働きながら、同年4月、明大付属中野高校に再入学し、クラス委員長に選ばれる。
同年5月、退学し故郷の板柳町に帰る。
帰郷後、9月に長野県で陸上自衛隊入隊試験を受けるが、不合格となる。

1968年10月8日、アメリカ海軍横須賀基地に侵入し、ピストルと弾丸50発などを窃盗後、同年11月にかけて連続ピストル射殺事件を起こす。
一連の犯行後、中野のアパートに潜伏しながら新宿歌舞伎町の酒場でボーイなどをして働き始める。
永山が新宿区の喫茶店ヴィレッジヴァンガードに早番のボーイとして勤めていた際、同店の遅番のボーイとしてビートたけしが働いていた。
また同店の客には、村上春樹や、のちに永山の足跡を追った映画『略称・連続射殺魔』を撮った足立正生らがいた。

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