日本学術会議と「反権力」報道――税金、学問、尖閣をめぐって
2020年10月16日発信、2026年7月26日再掲載。石井望『尖閣反駁マニュアル百題』、元外務省国際情報局長・孫崎享の尖閣論、日本学術会議の会員任命問題、科研費、NHK「ニュースウオッチ9」の報道を手掛かりに、公的資金で支えられる学問、権力監視報道、尖閣諸島をめぐる情報戦と史料検証のあり方を問う。
2020-10-16
日本学術会議と「反権力」報道――税金、学問、尖閣をめぐって
2026-07-26 再掲載にあたって
本稿は2020年10月16日に発信したものである。
その後、日本学術会議をめぐる制度は大きく動いた。
2025年6月11日に新たな日本学術会議法が成立し、日本学術会議は2026年10月1日に法人へ移行することになっている。
したがって、以下は2020年当時の学術会議任命問題をめぐって私が記した文章として再掲載する。
以下は、石井望による大著『尖閣反駁マニュアル百題』から、その序文の趣旨を紹介したものである。
この本は、尖閣諸島をめぐる中国側の主張を、中国の古典史料そのものによって検証した本格的研究である。
なぜこの部分を取り上げるのか。
朝日新聞だけを読み、NHKだけを見ている人々の中には、かつての私自身がそうだったように、元外務省国際情報局長・孫崎享が尖閣問題についてどのような主張をしていたのか、ほとんど知らない人もいるからである。
石井望は序文で、自らが中国側の史料を読み進めれば進めるほど、尖閣諸島が歴史的・文化的に日本側に属するとの確信を深めた、と述べている。
そして2010年秋、尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件が起きた。
日本の領土と統治そのものを揺るがした事件として、多くの日本人の記憶に残っている。
石井は、日本国内の尖閣報道や論説に、中国側の古典史料そのものを検討した議論がほとんど見当たらないことに疑問を抱き、研究成果を発表しながら本格的な検証を進めた。
その中で彼が危惧していたのは、中国側史料の内容を十分に吟味しないまま、中国側の解釈を日本国内へ流布する議論が現れることであった。
そして石井は、孫崎享らの尖閣論をその典型として厳しく批判した。
石井の批判の核心は、孫崎が中国語史料そのものを自ら詳細に読み解くのではなく、中国側の解釈をそのまま是認している、という点にあった。
私がこの部分を紹介する理由は、前章で書いた「戦後知識人の評伝は、裏切り者の評伝だった」という問題意識の中に、孫崎享についても位置づける必要があると思ったからである。
そして2020年、日本学術会議をめぐって大きな騒動が起きた。
第25期会員候補として日本学術会議が推薦した105人のうち、菅義偉首相は6人を任命しなかった。
ここで、科研費の問題にも触れておきたい。
政治学者・山口二郎が研究代表者を務めた科研費について、2002年から2017年までの主要三課題を合計すると、研究プロジェクトへの交付額は約5億9千万円に達する。
巨額の公的研究費が投入された研究について、その成果と公共的意義が国民に分かる形で説明されることは当然ではないのか、ということである。
当時のNHK「ニュースウオッチ9」の報道を見ながら、私は強い違和感を覚えた。
有馬嘉男のコメントは、私には権力批判そのものを民主主義の証明であるかのように扱っているように聞こえた。
一方、その場面で映った和久田麻由子の表情について、私はむしろ戸惑いを感じているように見えた。
もちろん、これは放送を見た私自身の印象である。
しかし、私が問題にしているのは出演者個人の表情ではない。
報道機関が「権力を批判する側」を自動的に正義と位置づけるなら、それは報道ではなく、一つの政治的立場になってしまうということである。
2020年に任命されなかった6人には、東京大学教授だった加藤陽子も含まれていた。
私は加藤陽子の歴史観や発言について以前から強い疑問を持ってきた。
私は、日本学術会議をGHQ占領期に成立した制度の一つとして、その歴史的背景を含めて検証する必要があると考えてきた。
朝日新聞やNHKについても同じである。
問題は「反政府」であること自体ではない。
政府を監視する報道は民主主義に必要である。
しかし、権力批判という看板を掲げれば、それだけで事実検証を免れるわけではない。
尖閣諸島をめぐる中国の軍事的・宣伝的な動きについて、日本の学術界は何を研究し、何を社会へ提示してきたのか。
中国側が公開する尖閣関連の歴史資料やデジタル展示に、事実と異なる記述があるなら、日本の研究者は史料をもって反論すべきである。
それこそが学問の役割ではないのか。
政府を批判する自由も、政府の政策を支持する自由もある。
だが、学問の名の下にある以上、最後に問われるのは政治的立場ではなく、史料と事実である。
私は2020年10月16日に、この問題をそう考えていた。
そして、日本学術会議が法人へ移行しようとしている2026年の今だからこそ、改めて同じことを問いたい。
公的資金で支えられる学問は、誰のために存在するのか。
国民は、その研究成果と活動について十分な説明を受けているのか。
そして日本の安全保障や領土をめぐる情報戦に対し、日本の学術界は本当に果たすべき役割を果たしているのか。