2012年、滋賀から京都へ――フェノロサの奇跡と京都府立植物園 ブラームス《交響曲第4番》とともに

2012年6月28日、法明院。
そして、2012年7月2日、京都府立植物園。
わずか四日を隔てた二つの時間を、ブラームス《交響曲第4番 ホ短調 作品98》とともに、一つの映像作品にした。
演奏は、クラウディオ・アバド指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。
2012年。
私は京都府立植物園を、ほとんど連日のように歩き、撮影していた。
花を撮った。
木々を撮った。
光を撮った。
水を撮った。
そして、その日、その瞬間にしか存在しない生命の姿を撮り続けた。
だが、その2012年の京都で、私が経験したものは、植物園の美しさだけではなかった。
6月28日。
私は、法明院へ向かった。
先ほどの路なき路を、ずんずんと歩いて行った。
木立を抜けると、道標が現れた。
そして私は、アーネスト・フェノロサの墓へと向かったのである。
「もうすぐですよ、空海さん。」
「分かりました。」
「もう着きますよ。」
「はい。」
そして、着いた。
そこに、フェノロサの墓があった。
私は墓を見つめた。
長い時間、見つめていた。
日本美術を守るために力を尽くし、日本文化の価値を世界に伝えた一人の人間が、ここに眠っている。
そのことを思った時、私は感涙を覚えた。
これほど得難い時間が、ほかにあるだろうか。
そして、その時だった。
私が「これは、もう奇跡と呼ぶしかない」と感じた出来事が起きた。
一羽の蝶が、フェノロサの墓へ飛んだのである。
蝶は、墓の中央付近にとまり、しばらく動かなかった。
私には、それがまるで、
「私の思いを、日本中へ伝えてほしい」
そう語りかけているように思えた。
だから私は、撮った。
何枚も撮った。
北海道から沖縄まで、日本中の人々に、この場所を、この墓を、この時間を届けるために。
そして撮影を終えると、さらに不思議なことが起きた。
蝶はそこを離れ、私の右肩の近くへ舞い戻ってきた。
そして、私が境内を出るまで、長い時間をともにした。
それを偶然と呼ぶ人もいるだろう。
私は、そのことを否定しない。
しかし、あの日、あの場所にいた私にとって、それは単なる偶然ではなかった。
あの蝶の姿と、フェノロサの墓と、法明院の静寂。
それらすべてが一つになり、私の中に深く刻まれた。
四日後の7月2日。
私はまた京都府立植物園にいた。
そこには、何事もなかったかのように花が咲き、木々が立ち、夏の光が降り注いでいた。
だが、一度あの時間を経験した私には、その風景もまた、それまでとは違って見えた。
命は現れ、咲き、輝き、やがて消えてゆく。
そして人間もまた、同じ時間の中にいる。
ブラームスの第4交響曲には、そのことを思わせるものがある。
華やかな勝利を歌うのではない。
時間を遡ることもできない。
失われていくものを、失われないものに変えることもできない。
それでも人間は、生きた時間を記憶し、その記憶を次の時代へ渡していく。
アバドとベルリン・フィルの演奏を聴きながら、2012年6月28日の法明院と、7月2日の京都府立植物園をつないでいると、私にはこの二つの場所が、決して別々のものには思えなかった。
フェノロサが守ろうとした日本の美。
京都の寺院。
森。
墓。
そして、植物園に咲く花々。
すべては、時代を超えて受け渡されていくものの中にある。
写真とは、消えていくものを永遠にすることではない。
消えてしまうからこそ、その一瞬を記録することである。
2012年6月28日。
そして、2012年7月2日。
あの日の京都は、もう二度と戻らない。
しかし、写真の中には残っている。
私の記憶の中にも残っている。
そして今、ブラームスの音楽とともに、もう一度ここに現れる。
法明院で私が「奇跡」と感じた、あの時間。
そして、夏の京都府立植物園に満ちていた生命。
その二つを、一つの作品として残しておきたいと思う。
時は過ぎる。
人も去る。
花も散る。
しかし、人間が心の底から見つめたものは、時を超えて誰かへ届くことがある。
私は、そのことを信じている。

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