国民の命を脅かす「内なる敵」――敵基地攻撃能力をめぐる新聞論調と戦後日本の安全保障
国民の命を守ることは、国家と政治家の最大使命である。
2020年7月12日の産経新聞に掲載された門田隆将氏の連載コラムをもとに、敵基地攻撃能力をめぐる朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞の論調を比較し、日本の安全保障を内側から弱体化させる「内なる敵」の問題を論じる。
2020年7月12日
厄介なのは、その中に自分が日本人の命を危うくしているなどとは露ほども思わず、自分はいいことをしていると、嬉々として活動に没頭する人たちがいることである。
以下は、「“内なる敵”が日本を滅ぼす」と題して、今日の産経新聞に掲載された門田隆将氏の連載コラムからである。
門田隆将氏は、正しい仕事を続けている、今の日本で最も素晴らしいジャーナリストの一人である。
6年前の8月まで、朝日新聞を日本を代表する新聞だと思い込んでいた日本国民と世界の人々は、その実態を知れば、わが身を恥じることになるだろう。
世界の人々は、同時に安堵を覚えるはずである。
少なくとも自分たちの国を代表する新聞は、ここまで愚かではない。
ここまで自国と自国民の利益を損なう報道はしていない、と。
そして、GHQによる戦後日本への思想的な支配についても、あらためて認識することになるだろう。
GHQが日本国民に植え付けた自虐史観と、日本を永久に弱体化させるために与えた戦後憲法の弊害が、戦後75年を経過した時点においても、日本国民をこれほど低レベルな議論によって苦しめ続けているという現実である。
その代表的存在が朝日新聞であり、その状況に乗じてきたのが中国であり、韓国である。
神の摂理である「文明のターンテーブル」の進展を妨げ、底知れぬ悪と、まことしやかな嘘によって成り立つ中国共産党政権と朝鮮半島の増長をもたらし、不安定で極めて危険な世界をつくることに加担してきた代表的存在が朝日新聞であることを、世界の人々は心底から理解することになるだろう。
国民の命を守ることは国家最大の使命である
国民の命をどう守るか。
いうまでもなく、これは国家と政治家に課せられた最大の使命である。
だが、残念なことに日本では、そのことを政治家やマスコミの多くがほとんど理解していない。
いわゆる「平和ボケ」にとどまらず、結果として日本人の命の敵となり、他国を利するために懸命に動く人々さえ存在する。
私は、そのような人々を「内なる敵」と呼び、論評してきた。
厄介なのは、その中に、自分が日本人の命を危うくしているなどとは露ほども思わず、自分は正しいことをしていると信じ、嬉々として活動に没頭する人たちがいることである。
自分の主張や行動が、結果として中国や北朝鮮を利することさえ理解できていないのである。
敵基地攻撃能力をめぐる議論
当時、議論となっていた敵基地攻撃問題を例に取ってみよう。
地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画が停止され、あらためて、敵のミサイルを発射前に破壊する能力について議論が生じた。
ミサイルが発射されてから迎撃態勢に入り、これを撃ち漏らした場合を考えれば、国民の命を守るためには、発射されたミサイルを迎撃するだけではなく、発射前に攻撃を阻止する能力を持つことが重要である。
だが日本には、国民の命よりも「敵基地」の方を守りたいかのような主張を展開する勢力が存在する。
立憲民主党、日本共産党、社会民主党などの野党はもちろん、与党の公明党にも、そのような強い慎重論が存在していた。
日進月歩でミサイル能力が向上し、従来の迎撃システムでは対処が困難となる中国や北朝鮮のミサイルも登場している。
それにもかかわらず、これらの政治勢力だけではなく、朝日新聞と毎日新聞も、敵基地攻撃能力の保有に強く反対した。
朝日新聞は、2020年7月8日付の紙面で、次のように主張した。
〈中国や北朝鮮、ロシアなどの反発を招き、かえって安保環境を悪化させてしまうおそれもある〉
毎日新聞も同日、次のように主張した。
〈敵基地攻撃能力を持てば、周辺国の警戒感が高まり、安全保障環境を悪化させる可能性もある。専守防衛を逸脱することは許されない〉
日本を狙う中国や北朝鮮が泣いて喜ぶ論理である。
読売新聞と産経新聞が示した現実
さすがに、読売新聞と産経新聞の主張は異なっていた。
読売新聞は、2020年6月23日付の紙面で、次のように述べた。
〈「侵略戦争につながる」といった空疎な論議に終始してはならない〉
産経新聞も、同年6月29日付の紙面で、次のように主張した。
〈ミサイル攻撃から国民を守るために、より明確な方法に置き換える必要がある。ミサイル発射拠点を攻撃する「敵基地攻撃(反撃)」能力の保有も本格的に検討すべきだ〉
両者の違いは、国民の命を守るための現実をどのように見るかという点にある。
攻撃してくるのは敵国である。
その攻撃拠点を無力化する能力の保有を阻止しようとする勢力が、結果として国民の「命の敵」となることは間違いない。
「日本よ、このままでいてくれ」と、ほくそ笑む中国や北朝鮮を利しているのは誰なのか。
国民は、そのことを見据え、敵を利する結果をもたらす新聞論調についても、厳しく見極めなければならない。
「平和」という言葉だけでは国民を守れない
安全保障政策は、主張する人間の善意によって評価されるものではない。
本人がどれほど平和を願っていると主張しても、その政策の結果として日本の防衛力が弱まり、中国や北朝鮮が有利になるのであれば、その現実を直視しなければならない。
攻撃する側の反発や警戒感を心配し、攻撃される側である日本国民の命を二の次にする議論は、本末転倒である。
国民の命を守るために必要な防衛能力について議論することは、戦争を望むことではない。
相手国に攻撃を思いとどまらせるための抑止力を構築することこそ、戦争を防ぐために必要な国家の責任である。
防衛力を持たないことが平和をもたらすのではない。
攻撃しても目的を達成できず、重大な代償を負うことになると相手国に認識させることが、現実の戦争を抑止するのである。
結語
国民の命をどう守るのか。
安全保障論議において最初に問われるべきなのは、外国からどのように見られるかではない。
日本国民の命を現実に守ることができるかどうかである。
誰が日本国民の命を守ろうとしているのか。
誰の主張が、結果として中国や北朝鮮を利することになるのか。
国民は、政治家や新聞が掲げる美しい言葉だけではなく、その主張が現実にどのような結果をもたらすのかを見極めなければならない。
「日本よ、このままでいてくれ」と願う中国や北朝鮮にとって、最も都合のよい主張を繰り返しているのは誰なのか。
日本国民は、その答えを直視しなければならない。