鄧小平マジックの終焉――「一国二制度」の破壊と中国に対する国際社会の信頼崩壊

「一国二制度」と「社会主義市場経済」という二つの仕組みによって、西側諸国に中国の変化への期待を抱かせた鄧小平。
しかし、習近平政権による香港国家安全維持法の施行は、その信頼の基盤を自ら破壊した。
日本の政府開発援助、中国のWTO加盟、日米欧企業の進出によって「世界の工場」となった中国と、今後避けられない国際社会とのデカップリングについて論じる。


2020年7月14日
以下は、「鄧小平マジックの終焉」と題して、2020年7月14日付の産経新聞に掲載された論説委員・河崎真澄氏の記事からである。
中国は、国際社会から強い批判を浴びる中、香港への統制を強化する香港国家安全維持法の施行を強行した。
この法律によって、香港返還後50年間、2047年まで保障されるはずだった「一国二制度」は事実上反故にされた。
それは同時に、鄧小平が西側諸国に抱かせた中国の変化への期待が、終焉を迎えたことを意味する。
【冒頭引用】
日米欧などの民間企業は、これで中国が国際ルールを順守するようになると考えて対中進出し、あっという間に中国を「世界の工場」に育て上げた。
【本文】
「これで鄧小平マジックも、いよいよ終焉だな」。
日中外交に長年携わってきた外務省OBは、こう語った。
国際社会から批判を浴びる中で、中国が香港への統制を強化する香港国家安全維持法の施行を強行した問題を指している。
かつて中国の最高実力者だった鄧小平。
その「マジック」には、二つのキーワードがあると考えられる。
一つは、1984年に英国のマーガレット・サッチャー首相と香港返還をめぐって取り決めた「一国二制度」である。
もう一つは、1992年に改革開放路線を再び加速させるために強調した「社会主義市場経済」である。
「一国二制度」によって、香港には中国への返還後も言論の自由などの民主主義制度を存続させることが認められた。
「社会主義市場経済」によって、需要と供給に応じて価格が変動する仕組みが中国に導入された。
いずれも、共産主義国家である中国にとっては、本来矛盾する仕組みだった。
しかし、鄧小平は弁証法的な考えによって対立する要素を取り込み、新たな解決策を提示することで、西側社会に中国の「変化への期待」を抱かせた。
文化大革命による政治的混乱が終わり、1978年末の重要会議で、経済成長を優先する改革開放路線へ中国の舵を切ったのが鄧小平だった。
日本だけではない。
欧米諸国も、1980年代から1990年代にかけて、経済が発展すれば中国共産党政権も成熟すると真剣に考えていた。
中国は国際社会と共同歩調を取るようになり、いずれ民主化へ向かうと期待されていたのである。
日本政府は、総額4兆円近い政府開発援助、すなわちODAを中国に供与した。
中国は2001年、世界貿易機関、WTOに加盟した。
日米欧などの民間企業は、WTOへの加盟によって中国が国際ルールを順守するようになると考え、相次いで中国へ進出した。
その結果、中国はあっという間に「世界の工場」へと育て上げられた。
中国は2010年、国内総生産、GDPで日本を追い抜き、世界第2位の経済大国となった。
中国の「中興の祖」ともいうべき鄧小平が、どこまでその膨張を予想していたのかは分からない。
しかし、経済規模の拡大を除けば、中国は国際社会の期待をことごとく裏切り続けた。
ウイグル族に対する弾圧の例を挙げるまでもなく、中国国内で強権政治が続いていることは明白である。
もちろん、1989年の天安門事件で、民主化を要求した学生や市民を武力で弾圧した鄧小平もまた、中国共産党の指導者だった。
鄧小平は結局、1997年7月の香港返還を見ることなく、同年2月に92歳で死去した。
鄧小平よりも毛沢東の時代を模しているとされる習近平中国共産党総書記、国家主席は、中国が定めた法律を香港へ一方的に適用した。
香港国家安全維持法の施行によって、習近平政権は「一国二制度」という鄧小平マジックを自ら破壊したのである。
このことは同時に、「社会主義市場経済」に対する信頼も失墜したことを意味する。
中国の経済成長は、鄧小平が約束した制度上の透明性と、国際社会との協調姿勢があったからこそ実現した。
中国国内においても、経済成長、雇用の拡大、個人の豊かさを約束することによって、人民が中国共産党の一党独裁を認めるという暗黙の了解があった。
香港の「一国二制度」は、返還後50年間、2047年まで保障されていた。
しかし、その約束は事実上反故にされた。
一度交わした国際的な約束さえ、一方的に覆す国家を、誰が信頼できるだろうか。
この先、国際社会のどの国の政府が、また、どの国の民間企業が、中国に信頼感を持ち続けることができるだろうか。
中国が独善的な立場を取り続けることを、国際社会がいつまでも許すはずはない。
国際社会と中国とのデカップリング、すなわち切り離しが、今後急速に進むことは避けられそうもない情勢である。

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