映画は国家の重要な情報宣伝機関である――米国のフィンシン・ルールと日本映画衰退の二つの原因

映画が国家の重要な情報宣伝機関でもあることを踏まえ、米国のフィンシン・ルールと日本の映画会社による五社協定を比較する。
テレビの出現、映画会社の判断、自虐史観の浸透によって、日本映画がどのように衰退したのかを、高山正之氏の論考をもとに考察する。

2020年7月13日
映画が国家の重要な情報宣伝機関でもあることを踏まえ、米国のフィンシン・ルールと日本の映画会社による五社協定を比較する。
テレビの出現、映画会社の判断、自虐史観の浸透によって、日本映画がどのように衰退したのかを、高山正之氏の論考をもとに考察する。
【本文】
以下は、「反戦はいらない」と題して、『週刊新潮』2020年7月16日号に掲載された高山正之氏の連載コラムからである。
高山正之氏と櫻井よしこさんの連載コラムは、『週刊新潮』の掉尾を飾っている。
何しろ私は、御両名の論文を読むために、毎週『週刊新潮』を購読している。
本稿もまた、高山正之氏が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
テレビのクイズ番組で、「映画製作本数が世界一の国はどこか」という問いが出された。
近頃は、思わぬ国が映画大国に躍り出ている。
映画館がほとんどないナイジェリアも、ハリウッドの倍以上の作品を製作していた。
支那も宣伝臭の強い映画を山のように作っているが、クイズの正解はインドだった。
スタジオはボンベイ、現在のムンバイ周辺に犇めいており、その地名をもじって「ボリウッド」と呼ばれている。
年間約二千本、ハリウッドの三倍もの映画を製作している。
実は日本もかつて、世界一だったハリウッドを凌ぐほどの映画大国だった。
東宝、東映、日活など、多くの映画会社と撮影所があり、年間の観客動員数は人口の約十倍に当たる十一億人にも達していた。
立ち見など当たり前だった。
映画は、まさに娯楽の王様だったのである。
ヒーローも大勢いた。
鞍馬天狗が白馬に乗って疾走すると、場内には拍手が沸き起こった。
司馬遼太郎が登場するまで、新選組は長く悪役として描かれていた。
任侠映画は、特攻帰りの鶴田浩二と高倉健のはまり役だった。
健さんの晩年には、なぜか辛気臭い反戦映画が多くなり、気の毒なことだった。
若大将こと加山雄三は、青年将校の役がよく似合った。
フランキー堺が八路軍を打ち破る『独立愚連隊』は、一級の娯楽作品だった。
では、そのような日本映画が、なぜ斜陽になったのか。
第一の原因は、テレビの出現だった。
当初のテレビ画面は十七インチで、しかも白黒だった。
これに対して映画は、総天然色のシネマスコープだった。
東映は毎週二本の新作映画を封切っていた。
映画会社にとって、テレビなど、どう逆立ちしても恐れるような敵ではないはずだった。
そして昭和三十三年、遊郭が消えた年に、大手映画会社五社は、傲慢にも邦画をテレビ局に提供しないという協定を結んだ。
テレビで映画を放送したいのなら、自前のセットを用意し、自前の俳優を育て、自分たちでドラマを製作すればよいという態度だった。
困ったテレビ局は、米国から『ローハイド』『コンバット』『パパは何でも知っている』などの番組を輸入した。
ビック・モローは、日本の茶の間のヒーローになった。
NHKも、『バス通り裏』に出演した十朱幸代によって、相当な視聴率を稼いだ。
テレビが面白くなれば、映画館へ行く人は減る。
実際、五社協定から数年で映画の観客数は減少し続け、ついには最盛期の二十分の一にまで落ち込んだ。
日本は、この時だけは米国を見習うべきだった。
米国でも、ハリウッドの前にCBSなどの三大テレビネットワークが立ちはだかった。
しかし映画は、単なる娯楽ではなく、国家の重要な宣伝機関という側面を持っていた。
米国を民主的で慈悲を知る国家として描く一方で、ドイツは徹底的な悪として描かれた。
日本も悪役として描かれ、純朴な支那人を虐め、殺害している国家として表現された。
その結果、原爆投下は当然だったという世論が育まれた。
映画がそれほど重要な情報宣伝機関であったからこそ、米国では連邦議会が動き、「フィンシン・ルール」が作られた。
平たく言えば、テレビ局は自前のドラマだけで番組を賄うのではなく、製作は映画スタジオなどの独立した製作者に任せるべきだという制度である。
その結果、ハリウッドはますます栄え、テレビ局も優れた映画やドラマを放送することができた。
クリント・イーストウッドのように、テレビからハリウッドの大スターへと昇格する俳優も現れた。
日本には、そのような国家的なビジョンがなかった。
映画スタジオの半数は潰れ、テレビ局も半端なドラマしか作れなくなった。
それでも、残った映画スタジオが優れた映画を作っていれば、まだ救いはあった。
しかし、そこへ自虐史観が割り込んできた。
これが、日本映画凋落の第二の原因だった。
例えば、日本人を拉致し、テロを仕組む某国に日本の諜報員が潜入し、核施設を破壊して人質を取り戻すという筋書きなら、多くの観客に受け入れられるはずである。
しかし、「北朝鮮を挑発するから」と有田芳生氏らが反対し、企画に待ったがかかる。
宮崎駿氏が素直に零戦を描こうとしても、周囲の反戦運動家がそれを許さない。
その結果、少女を死なせて観客を泣かせるような映画しか作れなくなる。
そのような映画を、いったい誰が見るというのか。
しかし、日本には優れた映画の題材がある。
例えば、拉孟である。
米軍士官が指揮する支那軍の猛攻を受けた日本軍は、最期を目前にして、朝鮮人慰安婦五人に、「彼らは日本人しか殺さない」と告げ、白旗を持たせて脱出させた。
五人は生還し、日本人将兵は全滅した。
実話である。
この一つの出来事の中に、先の戦争と日本人の姿がすべて語られている。
私が見たいのは、こうした事実を正面から描く映画である。
単なる反戦映画ではない。
戦争の現実と、その中で生きた日本人の姿を、事実に基づいて描く映画なのである。

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