国連PKO、憲法9条、日本のPKO参加5原則の限界――クルーズ報告書が示した国際安全保障の現実
2018年、国連PKOの現実を示したクルーズ報告書を起点に、南スーダン自衛隊日報問題、憲法9条とPKO参加5原則の矛盾、戦後日本の憲法観、そして憲法改正をめぐる世論について論じた章。
2018-06-29
国連PKO、憲法9条、日本のPKO参加5原則の限界――クルーズ報告書が示した国際安全保障の現実
以下は前章の続きである。
国際社会の現実
5月31日付の読売新聞朝刊は、アントニオ・グテーレス国連事務総長の要請によって作成された国連PKO(平和維持活動)に関する報告書について報じていた。
そこには、敵意を持つ勢力に理解させる言葉は武力以外にはない、そして自分より強い相手を攻撃する者はいない、という趣旨の強烈な言葉がある。
後に「クルーズ報告書」と呼ばれることになったこの報告書の言葉は、国連PKO要員が現場で直面している厳しい現実を示している。
私に言わせれば、数十年にわたる国連PKOの経験から導かれる結論は明白である。
平和は言葉だけで常に維持できるものではなく、時として十分な軍事力が不可欠なのである。
この現実は、国際安全保障の現実を直視することなく、現行憲法の維持を主張する人々の議論を真正面から突き崩すものだ。
2017年から2018年にかけて、国会は南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報問題をめぐって繰り返し混乱した。
野党と一部メディアは、日報が隠されていたことや「戦闘」という言葉に固執し、私に言わせれば、本質から外れた追及を続けた。
日本の国連PKO参加5原則は、憲法9条による制約を前提として作られたものである。
しかし、その原則を厳しい実際の派遣先に、そのまま当てはめることはできない。
矛盾は明白である。
現場にいる自衛隊員は、目の前で実際に起きたことを記録しなければならない。
正確な記録を残さなければならないことを自衛隊員自身が分かっていても、実際に起きたことを「戦闘」と記せば、それ自体が日本のPKO参加を継続する法的条件を満たしているのかという問題を生じさせる。
今後、国連から新たな危険地域への自衛隊派遣を要請された時、日本政府はまた同じ過ちを繰り返すのだろうか。
物事の考え方を根本的に変えない限り、本当の国際協力も国際貢献も不可能なのである。
しかし、国際社会の現実に対応できる憲法と法制度を持つべきだという、一貫した憲法改正論者の主張は、戦後日本では広く受け入れられてこなかった。
その理由を考える時、江藤淳の『閉された言語空間』以降、GHQ占領下における日本人への洗脳を指摘する書物は数多く出版されてきたことを思う。
しかし、その洗脳を実際にどう解くのかについて、真正面から書かれたものは驚くほど少ない。
私は、日本人をその洗脳からどう解放するかという問題に焦点を当ててきた。
それこそが、私が「反日」と呼ぶ病の核心になっているからである。
戦後の憲法問題に関する世論調査の推移を追った結果、私は、日本人の洗脳が解ければ憲法改正は可能であると確信している。
当時、首都大学東京教授だった境家史郎は、戦後日本における憲法問題の世論調査の長期的推移を分析している。
安倍晋三首相が主張した、現在の9条の条文を残しながら自衛隊を明記するという形の改正であれば、有権者は必ずしも拒否しないという結論である。
一度でも憲法改正が実現すれば、あたかも聖典のように扱われるようになった憲法への「信仰」は薄れていく。
その2年前、英国ではEU離脱を問う国民投票が行われた。
大方の予想に反して、離脱派が勝利した。
私に言わせれば、その一因は、反EU感情を刺激する虚偽あるいは誤解を招く情報によって、多くの英国民が「理性」から「感情」へと動かされたことにある。
日本で憲法改正を論じる時にも、同じ問題が生じる。
現行憲法支持者は、論理だけではなく、「戦争につながる憲法改正」といった表現によって感情に訴えるだろう。
私は、このようなマインドコントロールから国民を解放するための戦略こそ、憲法改正論者がそれに対抗するための最大の方策だと考えている。
この稿続く。