天安門事件後、日本はなぜ中国に手を差し伸べたのか――断ち切れぬ「媚中」の流れと日本外交

1989年6月4日の天安門事件からわずか3カ月余り後、日本は超党派訪中団を中国へ送った。
その後も対中円借款再開、海部俊樹首相の訪中、天皇陛下のご訪中へと続いた日本の対中外交を、2020年7月29日付産経新聞の石井聡論説委員長の論文を通して記録する。
中国側が西側の対中制裁網において日本を「最も弱い輪」とみなしていたこと、ODA、政界・経済界に続いてきた対中姿勢、そして尖閣諸島や東シナ海をめぐる問題までを振り返る。

2020-07-29
1989年6月4日、中国政府は北京で民主化を求める学生らを武力で弾圧する天安門事件を起こした。
G7を中心とする国際社会が中国とのハイレベル交流や経済関係を制限する中、日本は同年9月に超党派訪中団を派遣し、その後も対中関係の正常化を西側諸国に先駆けて進めた。
以下は、2020年7月29日付産経新聞に「断ち切れぬ媚中の流れ」と題して掲載された、産経新聞論説委員長・石井聡の論文からである。
本文
2020-07-29
天安門事件を起こし世界を震撼させた。血生臭い空気がまだ残る時期、日本はあえて訪中団を送った。西側からの客人は、下にも置かないもてなしを受けて当然。そう思っていたのは見当違いだった
以下は、断ち切れぬ媚中の流れ、と題して、今日の産経新聞に掲載された産経新聞論説委員長石井聡の論文からである。
6年前の8月まで朝日新聞を購読していた私と同様に、初見の事実が明らかにされている論文である。
31年前の9月、進入灯の照度もおぼつかない深夜の北京空港に「無事に降りられるだろうか」と息を殺しながら着陸した。
遼寧省・瀋陽(旧奉天)からの臨時便には、日本の超党派訪中団が搭乗していた。
団長は中国の信頼が厚い伊東正義自民党総務会長で、メンバーは日中友好議員連盟から選ばれた。
客人を呼びつけ 
なぜこうなったかといえば、一行が北京入りした1989(平成元)年9月17日、李鵬首相が地方視察中のため「会いたければ現地に」という先方の都合に付き合わされ、その日のうちに北京―瀋陽を1往復したのだ。
賓客に対して何たる無礼。
中国を初めて訪れた記者が抱いた印象だ。 
しかもである。
この訪問の3ヵ月余り前の6月4日、中国政府は北京で多数の学生らを武力で弾圧する天安門事件を起こし世界を震撼させた。
血生臭い空気がまだ残る時期、日本はあえて訪中団を送った。
西側からの客人は、下にも置かないもてなしを受けて当然。
そう思っていたのは見当違いだった。 
訪問に際し、中国びいきの伊東氏もさすがに「心の重い旅だ」と漏らしていたが、李鵬首相のほか江沢民中国共産党総書記、郵小平党中央軍事委員会主席らとの会談を重ね、日中間の友好関係は変わらないことを確認した。 
その1ヵ月余り前、日本では海部俊樹内閣が竹下派の金丸信会長や小沢一郎幹事長を実質的な運営者として発足した。
訪中団の派遣は、新政権の外交方針の軸をなすものでもあった。 
天安門事件後、国際社会は先進7力国(G7)を中心に、ハイレべルの外交交流や経済関係の停止などの対中制裁を実施した。
だが海部首相は就任翌年(1990年)7月のヒューストン・サミットで停止していた対中円借款の再開を表明、91年8月には中国を訪問する。
97年の江沢民訪米、98年のクリントン大統領訪中と比べれば、かなりのスピード感を日本は示したのだ。
海部訪中の3ヵ月後に政権は宮沢喜一首相に移り、92年10月に天皇陛下のご訪中が実現した。
これも対中政策の延長線上にある。 
この時期をはさんで外相を務めた銭其珠氏の「銭其珠回顧録中国外交20年の証言」で、中国側の意図があからさまに示されているのは知られるところだ。
西側の対中制裁網の中で日本は「最も弱い輪」とみなされ、突破口を開く格好の相手として目をつけられた。 
海部、宮沢両政権を支えた金丸-小沢体制の存在と、その流れをくむ現在の二階俊博自民党幹事長の対中姿勢。
断ち切れぬ「媚中」の源流が田中派-竹下派にあると結論付けたくなるが、そう単純ではない。 
天安門事件直後のアルシュ・サミットで、中曽根派の宇野宗佑首相は「中国を孤立させるべきではない」と中国の肩を持った。
その判断には、竹下登元首相はもとより他の複数の首相経験者が進言を与えた。 
「特別な関係」
政界だけではない。
当時の経済界にはさきの大戦を受けて日中が「特別な関係」にあり、経済支援や技術協力を通じて恩返しするのは当然だという空気が支配的だった。
いずれは世代交代が進み、認識も変わると思っていたが、菅直人内閣で起用された丹羽宇一郎中国大使(元伊藤忠商事会長)が、相次いで中国寄りの言動をとったのをみて、考えを改めさせられた。  
1979年から約40年にわたる中国への政府開発援助(ODA)は、総額3兆6千億円に及ぶ。
その間、自民党から異論が示されることもあった。2000年3月の党対外経済協力特別委員会で、中国の軍事費増大、ODAを受けておきながら開発途上国に援助をしていることなどが指摘されたのだ。 
ベテラン議員に交じって「中国は日本のODAを賠償的なものだと思っているのではないか」と発言した のは、当選2回の安倍晋三衆院議員であった。 
贖罪的姿勢が色濃い対中外交は、在任中に6回の靖国神社参拝を行った小泉純一郎首相により、一時は劇的に変化した。
いきおい日中関係は悪化し、後継の安倍首相(第1次内閣)は修復を図るため就任直後に訪中する。
その後の民主党政権下では、中国漁船衝突事件、尖閣諸島国有化などで再び関係が悪化。
再登板した安倍首相は靖国参拝を1回にとどめ、「戦略的互恵関係」を再確認して関係改善を図っている。
今月公表された防衛白書は「一方的な現状変更の試み」を図る中国の執拗さを指摘しながら「安全保障上の脅威」とは明記しなかった。
東シナ海ガス田では合意破りの開発行為で日本の権益が侵害され、尖閣諸島周辺海域での主権侵害がやむ気配はないーにもかかわらずである。 
中国人観光客をあてこんだ「2030年に6千万人」というインバウンド目標は、骨太方針で維持された。
これが「コロナ後」への日本の覚悟なのか。
目先の利益のため、相手の顔色をうかがい続けることを「戦略的」と呼ぶのは恥ずかしい。

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