アレンスキー《ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品32》――HIMARI、鳥羽咲音、吉見友貴が蘇らせる追悼と青春の音楽
アレンスキー《ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品32》
アントン・アレンスキーが1894年に作曲した《ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品32》は、ロシア・ロマン派を代表する室内楽作品の一つである。
ヴァイオリン、チェロ、ピアノという三つの楽器のために書かれ、全4楽章からなる。
この作品には、単なる室内楽という以上の意味がある。
アレンスキーはこの曲を、ロシアを代表するチェリストであり、サンクトペテルブルク音楽院の院長も務めたカルル・ダヴィドフの思い出に捧げた。
そのため、全曲を通してチェロが非常に重要な役割を与えられている。
ロシアのピアノ三重奏曲には、「追悼」という独特の伝統がある。
チャイコフスキーがニコライ・ルビンシテインを偲んで《偉大な芸術家の思い出に》を書き、ラフマニノフも《悲しみの三重奏曲》を書いた。
アレンスキーのこの作品も、その流れの中に位置する作品である。
しかし、音楽は最初から最後まで悲嘆に沈んでいるわけではない。
むしろ、華麗さ、若々しさ、甘美な旋律、舞曲的な軽快さが何度も現れ、その明るさがあるからこそ、作品の奥底にある哀惜が一層強く感じられる。
第1楽章 Allegro moderato
ニ短調。
静かに流れるピアノの上から、ヴァイオリンが長く歌うような主題を奏でる。
アレンスキーの最大の魅力である、一度聴いただけで心に残る旋律美が、冒頭から現れる。
やがてチェロがその歌を受け取り、ヴァイオリンとチェロが対話を始める。
三つの楽器が競争するのではなく、一つの感情を三人で語り合っているかのようである。
叙情的な美しさの中に突然情熱が噴き出し、再び静けさへ戻る。
その明暗の移り変わりが、この作品全体の性格を最初の楽章ですでに示している。
終結部では冒頭の世界が回想され、音楽は静かに別れを告げるように消えていく。
第2楽章 Scherzo:Allegro molto
一転して、非常に軽快な音楽になる。
ニ長調の明るいスケルツォで、ヴァイオリンの細かな動きとピアノのきらめくような音型が飛び交う。
ここには第1楽章の深い哀愁はほとんどない。
舞踏会の一場面を思わせるような優雅さがあり、中間部ではワルツを思わせる旋律も現れる。
しかし、この楽章の明るさは単なる気分転換ではない。
この後に続く《エレジア》の悲しみを、より深く感じさせるための光でもある。
第3楽章 Elegia:Adagio
この作品の精神的な中心とも言える楽章である。
題名そのものが「エレジア――哀歌」。
ここで、ダヴィドフへの追悼という作品の意味が最も明瞭になる。
静かな伴奏の上で、チェロが深い歌を奏でる。
それは絶叫する悲しみではない。
亡くなった人を静かに思い出し、かつて共に過ごした時間を振り返るような悲しみである。
ヴァイオリンがそれに応え、二つの弦楽器の声が重なっていく。
中間部には暖かな光も差し込む。
しかし、それも現在の幸福ではなく、過ぎ去った幸福の記憶のように聞こえる。
そして再び最初の悲歌へ戻る。
アレンスキーの音楽の中でも、とりわけ美しい数分間である。
第4楽章 Finale:Allegro non troppo
フィナーレは再びニ短調。
激しい音楽によって、それまで抑えられていた感情が一気に表面へ現れる。
しかし、この楽章の重要なところは、単に激しく終わるのではないことである。
途中で第3楽章《エレジア》の世界が戻り、さらに第1楽章の記憶まで回想される。
つまり、この終楽章はそれまでの三つの楽章を振り返りながら、作品全体を一つの大きな記憶としてまとめ上げていく。
最後には再び強いエネルギーが戻り、三つの楽器が一体となって作品を閉じる。
この作品の本当の魅力
アレンスキーは、チャイコフスキーやラフマニノフほど一般には知られていない。
しかし、この三重奏曲を聴けば、なぜこの作品だけは130年以上経った現在も演奏され続けているのかが分かる。
難解な思想を前面に出す作品ではない。
美しい旋律があり、若さがあり、華やかさがあり、そしてその奥に深い悲しみがある。
特にチェロには、亡きダヴィドフを思わせるような重要な旋律が数多く与えられている。
だから今回のように、HIMARIのヴァイオリン、鳥羽咲音のチェロ、吉見友貴のピアノという若い三人がこの作品を演奏すると、単なる「追悼曲」とは違ったものが見えてくる。
100年以上前に書かれた音楽が、若い演奏家たちの瑞々しい感性によって再び生命を得る。
そこに、このアレンスキーの三重奏曲のもう一つの魅力があるのだと思う。