中国への経済依存によって沈黙する欧州――香港、ウイグル、ドイツの対中姿勢と「民主主義と人権」の危機
香港国家安全維持法による民主派への弾圧、ウイグル族女性への強制不妊手術疑惑、中国による威圧的な情報戦を前にしても、EUは有効な行動を取ろうとしない。
中国を最大の貿易相手国とするドイツの煮え切らない態度を中心に、経済的利益のために「民主主義と人権」を守れなくなった欧州の現実を問う。
2020年8月4日。
香港国家安全維持法が施行され、中国共産党政権による香港の民主派への弾圧が本格化していた。
同時に、新疆ウイグル自治区では、ウイグル族の人口を抑制するため、女性に不妊手術が強制されているとの疑惑が明るみに出ていた。
米国が制裁に踏み切る一方、欧州連合は声明を出すだけで、実効性のある行動を取ろうとしなかった。
その背景には、中国からの投資に依存するギリシャや東欧諸国の事情に加え、中国を最大の貿易相手国とするドイツの存在があった。
以下は、「『人権の欧州』どこへ」と題して、同日の産経新聞に掲載された、パリ支局長・三井美奈のリポートを読んで記したものである。
三井美奈は、現在、最も優秀な女性記者の一人である。
【本文】
ドイツの態度が煮え切らない。
中国はドイツ最大の貿易相手国である。
メルケル首相は、通商を通じて圧力をかけ、中国の態度を改めさせる戦略だという。
しかし、三井美奈の知人である元ドイツ外交官は、
「中国は何を言っても変わらないでしょう」
と、あきらめた表情を見せている。
欧州連合は、どうなってしまったのか。
香港の民主主義が危機にあるのに、何もしない。
いや、正確に言えば、声明は出した。
香港国家安全維持法の施行を受け、香港の独立派や民主派の弾圧に使用される可能性のある機器について、輸出を制限することを決めた。
だが、そのような機器を製造する技術は、EUよりも中国の方がはるかに優れている。
声明では、香港との大学交流を推進することも定めた。
しかし、次々に逮捕されている香港の若者たちは、「交流」どころではないだろう。
EUは、まだ経済共同体だった時代から、「人権尊重」を看板に掲げてきた。
東西冷戦中も、ソ連や東欧だけでなく、アジアやアフリカにおける人権侵害について、おせっかいと思われるほど積極的に発言してきた。
1989年に天安門事件が起きると、直ちに中国への武器禁輸を決定した。
フランスは中国の民主活動家の亡命を受け入れ、革命記念日のパレードにも招いた。
当時を知る元フランス政府高官は、次のように回想している。
「パリの中国人留学生を集めて、自転車行進をさせました。
中国の弾圧に対して、『人権大国の矜持を示せ』という意識が強かったのです」
そのEUが、すっかり変わってしまった。
2020年6月、欧州議会は、香港国家安全維持法は「国際人権規約に反する」として、国際法廷に訴えるべきだとの決議を採択した。
ところが、欧州委員会の報道官は記者会見で、
「それは、われわれの立場ではない」
と突き放した。
続いて、中国がイスラム教徒の少数民族であるウイグル族の人口を抑制するため、女性に不妊手術を強制しているとの疑惑が明るみに出た。
民族の破壊を目的として出生を阻止しているのであれば、ジェノサイド条約に違反するおそれがある。
米国は制裁を科した。
しかし、EUは動かなかった。
ボレルEU外交安全保障上級代表は、
「われわれは独自の道を行く」
と言うだけだった。
EUがここまで中国に気を使う背景には、ギリシャや東欧諸国が中国からの投資に依存し、制裁を嫌っているという事情がある。
さらに、当時のEU議長国であるドイツの態度が煮え切らなかった。
中国は、ドイツ最大の貿易相手国である。
メルケル首相は、通商を通じて圧力をかけ、中国の態度を改めさせる戦略だという。
しかし、知人の元ドイツ外交官は、
「中国は何を言っても変わらないでしょう」
と、あきらめ顔で語った。
さらに、次のようにも述べた。
「ドイツでは、米国嫌いが広がっています。
『米国と欧州が結束して、中国に厳しく迫るべきだ』と訴える勢力は、支持を得られません」
米国は、中国だけでなく、EUに対しても関税制裁などをちらつかせ、圧力をかけていた。
ドイツに対しては、防衛と基地の負担を十分に引き受けていないと非難し、駐独米軍の削減を一方的に発表した。
米欧関係、そして米独関係は、冷え切っていた。
EUは2020年7月、新型コロナウイルス禍によって深刻な被害を受けた国々を救済するため、7500億ユーロ、当時の換算で約93兆5000億円に上る共通債の発行を決定した。
欧州各国の指導者たちは、感染対策と経済再建で頭がいっぱいだった。
米国大統領選挙を前に激化する米中対立に対しては、
「巻き込まれてはならない」
と身を固くしていた。
しかし、中国の習近平政権は、一貫して攻撃的だった。
西欧諸国が中国の人権問題を批判すると、
「メディアのでっちあげだ」
とかみつき、情報操作を仕掛けた。
スウェーデンの公共テレビが追及を続けると、中国大使は、
「軽量級のボクサーが重量級に挑めば、どうなるか分かっているのか」
と、せせら笑ったという。
これは外交ではない。
恫喝である。
中国は、うろたえるEUを威圧し、同時に、内部から切り崩そうとしていた。
18世紀の英国の政治思想家エドマンド・バークの言葉として、次の言葉が広く知られている。
「悪が栄えるために必要なのは、善人が何もしないことである」
EUが中国に対して何も言えないままであるならば、「民主主義と人権」は、やがて欧州の地においても危うくなる。
中国に対して沈黙することは、中立を意味しない。
沈黙によって利益を得るのは、弾圧する側である。
問題は、香港やウイグルだけではない。
欧州が、自ら掲げてきた民主主義と人権という原則を、本当に守る意思を持っているのかという問題である。