モーツァルト《レクイエム ニ短調 K.626》――死と向き合い、永遠の光と救済を求める祈り
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、その生涯の最後に取り組んだ作品が、《レクイエム ニ短調 K.626》である。
1791年、モーツァルトは、匿名の使者を通じて、死者のためのミサ曲「レクイエム」の作曲を依頼された。
依頼主は、亡き妻を追悼するため、自作として演奏しようと考えていたフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵だったとされている。
しかし、作曲を進めていたモーツァルト自身が次第に病に冒され、同年12月5日、35歳で世を去った。
そのため《レクイエム》は未完成のまま残され、妻コンスタンツェの依頼によって、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤーが補筆し、今日一般に演奏される形に完成された。
作品は、死者の魂の安息を祈る、静かで厳かな祈りから始まる。
冒頭の「入祭唱――永遠の安息を」では、暗い響きの中から合唱が厳かに立ち現れ、人間の死と救済という作品全体を貫く主題が示される。
続く「キリエ」では、複雑に絡み合う合唱が神の憐れみを求める。
そして「怒りの日」では、最後の審判を告げる激しい音楽が一気に噴き出す。
管弦楽と合唱が押し寄せるように進むその響きは、聴く者に圧倒的な恐怖と緊張を与える。
一方、「妙なるラッパ」では、トロンボーンの呼びかけに導かれて独唱者たちが登場する。
「涙の日」では、人間の悲しみと祈りが、深く胸を打つ旋律によって歌われる。
とりわけ「涙の日」は、モーツァルトが実際に書き残した部分が第8小節までで途切れていることで知られている。
その先には、作品を完成させることなく世を去った作曲者自身の沈黙がある。
後半の「聖なるかな」「祝福されますように」「神の小羊」を経て、終曲「永遠の光」では、冒頭の音楽が再び戻ってくる。
作品は、死の恐怖だけを描いて終わるのではない。
暗闇の向こうに、永遠の光と救済を求める祈りへと帰結するのである。
《レクイエム》には、モーツァルト自身の筆による部分と、弟子ジュスマイヤーが補った部分とが共存している。
しかし、その境界を超えて作品全体を貫いているのは、人間が避けることのできない死への畏れ、神の憐れみを求める切実な願い、そして魂の安息への祈りである。
自身の死を予感しながら書いた作品だったという伝説も重なり、《レクイエム》は、しばしばモーツァルト自身のための鎮魂曲のように語られてきた。
それは単なる「死者のための音楽」ではない。
生きる者が死と向き合い、恐れ、悲しみ、それでもなお救いと光を求める。
その、人間そのものの祈りを音楽にした不朽の傑作である。